あわて絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:57 UTC 版)
はしか絵の翌年、1863年(文久3年)には生麦事件から薩英戦争に至るまでの江戸における混乱を描いたあわて絵が流行した。この年横浜ではイギリス軍による幕府への威嚇砲撃があり、本格攻撃を恐れた庶民が江戸から郊外へと一斉に避難する騒ぎがあった。この様子を滑稽に描いたのがあわて絵で、はしか絵と同じく鯰絵の構図を多く参考にしている。
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