あわや大金星の好投
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1931年秋に来日した大リーグ選抜チームは錚々たる面々を集めていた。後に殿堂入りした選手だけでレフティ・グローブ、ルー・ゲーリッグら7人が揃っており、後年日本の野球発展に貢献したフランク・オドールもメンバーの中にいた。なかでもグローブの剛速球はアナウンサーが「グローブ投手投げました。あっ見えません、ストライク!」と実況するほどの速さで「スモーク・ボール」の異名を持っていた。大リーグ選抜は全日本との試合の他に六大学の各校とも対戦を組んだ。 11月8日の対戦(大リーグ選抜対早大)でグローブは先発せず、早大は伊達を先発に立てた。伊達は6回まで6安打を打たれながら1失点の力投を見せた。すると早大打線が相手先発の疲れに乗じて6回に同点、7回に4点を奪い勝ち越した。詰めかけた観衆は快挙なるかと興奮のるつぼと化した。しかしここから大リーグ選抜が意地を見せた。2四球に2安打を絡めて1点を奪い伊達をマウンドから引きずり下ろすと代わった投手にも猛打を浴びせて7点を奪い逆転した。8回からは登板予定のなかったグローブが登板、打者6人を21球で全て三振に打ち取って格の違いを見せつけた。しかし敗れたものの本場のプロを追い込み本気にさせた伊達の力投は評価され、遠征に同行した米人記者からも「投手がしっかりしている。伊達選手は大変にいい」と絶賛を受けた。 この試合から数日後、伊達はゲーリッグから「ヤンキースに来ないか」と誘われたという。 3年後ルースを中心とする大リーグ選抜が来日したときも伊達は1-5、5-6と敗れはしたものの好投した。このときの全日本で語り草になっているのは沢村栄治による静岡草薙球場での好投だが、開幕前はむしろ伊達の方が期待されていた。投手としてはカーブ、シュート、現在でいうスライダー、パーム、シンカー等を投げていたという。
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