なでしこ隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:43 UTC 版)
知覧基地では知覧高等女学校(現・薩南工業高校)の女生徒が勤労奉仕隊として振武隊員の寝床作りから食事、掃除、洗濯、裁縫、などで身の回りの面倒を見ていた。彼女らは「なでしこ隊」と呼ばれ、当初は18人であったが、振武隊員が増えるに従って順次増員され延べ人数は100人になったという。 なでしこ隊には「特攻班」「戦隊班」があった。打ち解けるに従って隊員は彼女らを妹の様にかわいがり、彼女らも隊員と一緒に談笑したり、手作りのマスコットを送ったりと隊員の心の支えになっていた。知覧基地内の特攻隊員の行動は自由で、「なでしこ隊」が作業をしていると、「美人がいるという噂だから」「歌がうまい生徒がいると聞いて」などと言ってグループで女学生らを見物に来ることもあったという。そのようなオープンな状況であったので、憲兵の中には特攻隊員と女学生が深い仲になっていると疑う者もおり、ある日「なでしこ隊」の前田笙子が、空襲のときに特攻隊員に庇われて松林に退避したことがあったが、のちに憲兵から「松林で何をしていた」と尋問され、前田は憲兵から、全くの事実無根の不純な目で見られていることを知って腹立たしい思いをしている。ただし、進発飛行場を有する知覧は、本土ながらも戦地であるため航空軍でも女性関係で士気が低下することや防諜など、憲兵として軍務上注意を払っていたことも考慮しなければならない。前田ら「なでしこ隊」の女学生にとって、特攻隊員は男女の情愛の対象などではなく、やがて靖国神社に祀られる生き神様という認識であり、積極的に声をかけることも憚られたという。 「特別攻撃隊#特攻隊員の待遇」および「靖国神社#祭神」も参照 しかし、特攻隊員は献身的に身の回りの世話をしてくれる彼女らを信頼し、家族への遺書を託したり、自分の夢や本心を打ち明けたりする隊員もいた。「なでしこ隊」の女学生も、次第に情に絆されるようになり、当番兵から特攻隊員に機内食のおにぎりを配れと命令をうけたさいに、それだけでは気持ちが伝わらないと考えて、操縦席を桜の小枝で飾るようにし、出撃の際には「なでしこ隊」の女学生が桜の小枝を持って見送りするようになった。「なでしこ隊」の勤労奉仕は3週間で終了となったが、打ち切られた理由は、女学生の一人が特攻隊員にぜひ一緒に特攻機に乗せていってほしいと懇願し、あまりの熱意にほだされたその特攻隊員が女学生を特攻機に乗せようとして問題となったことがあり、急遽勤労奉仕を中止にしたとも言われている。
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なでしこ隊
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「鹿児島県立薩南工業高等学校」の記事における「なでしこ隊」の解説
太平洋戦争末期、知覧陸軍飛行場から出撃する特別攻撃隊に奉仕したなでしこ隊は、前身である知覧町立高等女学校の生徒のことである。
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