てるてるぼうずとは? わかりやすく解説

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てるてる‐ぼうず〔‐バウズ〕【照る照る坊主】

読み方:てるてるぼうず

晴天祈って軒先などにつるす人形天気になれば、墨でひとみを入れたり、また神酒(みき)を供えて川に流したりする。てるてる法師てりてり坊主。てるぼうず。


てるてる坊主

(てるてるぼうず から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/07 17:52 UTC 版)

てるてる坊主

てるてる坊主(てるてるぼうず)は、日本風習の一つである。照る照る坊主とも表記される[1]。翌日の晴天を願い、白い布や紙で作った人形を軒先に吊るすもので、「てるてる法師」、「てれてれ坊主」、「日和坊主(ひよりぼうず)」、「てれれ坊主」など地域によって様々な呼称がある。また、同名の童謡がある。

歴史

日本では、江戸中期には既に飾られていたようである。この頃の人形は折り紙のように折って作られるもので、より人間に近い形をしており、これを半分に切ったり、逆さに吊るしたりして祈願した。19世紀はじめの『嬉遊笑覧』には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記されている。『日本国語大辞典』によると、江戸時代の文献では「てり雛・てり法師・てりてり坊主・てるてる・てるてる法師・てるてる坊主・てれてれ法師」など、さまざまに呼ばれていた。

てるてる坊主に似た風習

中国には箒を手にした切り紙の人形である掃晴娘[2]があり、これと日本のてるてる坊主との類似はすでに江戸時代の榊原篁洲『榊巷談苑』で指摘されている[3]。また、ヘボン和英語林集成』は「TERI-TERI-BŌZU」に「掃晴娘」の字をあてている。掃晴娘は文献上初の李俊民の「掃晴婦」詩に見えるのが古い。『燕京歳時記』にも見え[4]、20世紀はじめまでは一般に見られる習俗だったようだが、現在は知らない人が多く、むしろ日本から伝わったてるてる坊主の方が知名度が高い[5]

蜻蛉日記』下巻に「今日かかる雨にもさはらで、同じ所なる人ものへまうでつ。さはることもなきにと思ひて出たれば、ある者『女神にはきぬ縫ひて奉るこそよかなれ。さしたまへ』と寄り来てささめけば『いで試みむかし』とて、縑(かとり)の雛衣(ひひなぎぬ)三つ縫ひたり」とあるのを、掃晴娘に関係づけるむきもある[要出典]

童謡『てるてる坊主』

浅原鏡村(浅原六朗)が作詞し、中山晋平作曲した『てるてる坊主』という題名の童謡がある。1921年(大正10年)、『少女の友』にて発表され、教科書にも掲載されていた。


\relative {
    \set Staff.midiInstrument = #"piano"
	\key c \major
	\time 2/4
	\tempo 4 = 50
    \new Voice \relative c' {
	b'16 b16 b16 b16 b8 a8 b16 b16 b16 a16 fis8 r8 e8 fis16 fis16 b8 a16 a16 b16 b16 b16 b16 b8 r8 \bar "|" \break
	a8 a8 f8 f8 e4 c'8 b8 a8. a16 b8 c8 b4. r8 \bar "|" \break
	b8 c16 b16 a8 b8 c8 e8 f8 b8 a8 f16 e16 c8 b8 a4. r8 \bar "|."
    }
}

最初に発表されたときには4番まであり、その1番は「もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう」という歌詞だったが、後に削除された[6]。また、3番で「それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ」もあるが、歌詞が残酷すぎるとしてその3番がカットされることもあるようである。

戦後から1960年までにレコード売上は15万枚に達し、ロングヒットを続けている[7]

1976年のイタリアの国際児童音楽祭「第18回ゼッキーノ・ドーロ」では、この歌が「Teru terubozu」という題名でイタリア語詞を施され出場している[8]。イタリア語詞はフランコ・マレスカ(Franco Maresca)、歌唱は日本人出場者の粟国淳。同回ゼッキーノ・ドーロの国外曲部門で部門優勝に相当するゼッキーノ・ダルジェントを受賞した。粟国淳歌唱の「てるてる坊主」は、日本では1976年6月21日にキングレコード(セブンシーズン)から発売されている(レコード品番:CM-12)。

逆さ坊主

人形の頭部に重りを入れて頭が下を向くように仕立てたものは逆さ坊主(さかさぼうず)と呼ばれ、雨乞いの意味がある。ふれふれ坊主あめあめ坊主るてるて坊主と呼ぶ地方もある。黒い紙や布で作った場合も同じ。

関連項目

  • 池田町 - 長野県の町で、童謡『てるてる坊主』の作詞を行った浅原鏡村の出身地。てるてる坊主をモチーフにした「てるみん・ふ~みん」をキャラクターとして用いている[9]

脚注

  1. ^ 大辞林 第三版『照る照る坊主』 - コトバンク
  2. ^ おなな. “てるてる坊主の意味と由来!効果が上がる作り方・吊るし方”. nanaon. 2021年3月12日閲覧。
  3. ^ 榊原篁洲『榊巷談苑』(国会図書館近代デジタルライブラリー)「此国の女ばらの、雨ふりて止ざるときに照法師といふものつくりて、晴をいのることにする、唐国にては帚晴娘といふ(後略)」
  4. ^ 富察敦崇『燕京歳時記』(1906)「六月乃大雨時行之際。凡遇連陰不止者、則閨中児女剪紙為人、懸於門左、謂之掃晴娘」
  5. ^ 中国語版ウィキペディアによると、テレビアニメ『一休さん』の影響が大きいとのことである。
  6. ^ 「てるてる坊主の歌」が怖すぎる? 削除された1番の歌詞とは”. tenki.jp. 日本気象協会 (2015年5月14日). 2016年10月5日閲覧。
  7. ^ 「かくれたベスト・セラーレコード」『読売新聞』1960年3月12日付夕刊、5面。
  8. ^ Teru terubozu”. filastrocche.it. 2016年10月5日閲覧。
  9. ^ 池田町のキャラクター紹介”. 池田町. 2016年10月5日閲覧。

外部リンク


てるてるぼうず

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:07 UTC 版)

砂ぼうず」の記事における「てるてるぼうず」の解説

現代でこそ無邪気に晴天を願うための「おまじない」であるてるてるぼうずも、作中時代では奪い合い殺し合いすら起き貴重品であるため、天から恵みを奪う最大級タブー扱いされる呪い人形として恐れかれている。これを名乗る小砂・満コンビは、砂ぼうず直伝卑劣手加減の無いやり口もあって、その名前共々各地恐れられている。

※この「てるてるぼうず」の解説は、「砂ぼうず」の解説の一部です。
「てるてるぼうず」を含む「砂ぼうず」の記事については、「砂ぼうず」の概要を参照ください。

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