その後のPC-100
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 02:09 UTC 版)
「PC-100」の記事における「その後のPC-100」の解説
一般のパソコン市場ではPC-9800シリーズ全盛となった1980年代後半、姿を消したPC-100は、秋葉原などの中古・ジャンク市場に安価に出回り、主にマニアの間で細々と取引されていた。 マニアたちは、PC-9801用のMS-DOS(Ver2.11やVer3.10等)をPC-100で動作させるためのパッチなどを作成し、CPUの8086をピン互換のV30に換装して高速化、FDDを5.25インチ2DD(両面倍密度倍トラック 容量720KB)に乗せ替える等した上で、PC-9801用のバンクメモリカードを用いてメモリをフル増設し、さらにSASIやSCSIなどのインターフェイスを増設してHDDまで接続し、もっぱらMS-DOS互換環境として扱っていた。 PC-100はどのモデルでもソフト、ハードともに2DDドライブに対応しており、FDドライブを2Dから2DDに交換するだけで2DDのFDを利用できた。PC-100がその成立にまつわる事情から、ハードウェア的にPC-9801およびPC-8801シリーズのいずれかから流用した部分が多く、仕様も多分に重複していたため、心得たマニアにはこれらの増設パーツや補修部品の調達が容易だった。 アプリケーションについても市販アプリケーションこそ供給されなかったものの、ハードウェアに依存しないMS-DOSのファンクションのみで動作するソフトウェアが当時の市場やパソコン通信などにも多く存在した。また、フリーソフトやパブリックドメインソフトの一部には、PC-100対応版やPC-100対応モード等が専用に用意されるものや、未対応の一部のアプリケーションについてもPC-9801用のバイナリにパッチを当てて流用する手段が提供された。それらの試みによって、MS-DOSを基準とした環境では一定の実用性、利便性を確保することが可能であった。 2016年9月6日に国立科学博物館の重要科学技術史資料(通称:未来技術遺産)の第00222号として、最早期にマウスとGUIを標準搭載したことを評価され、登録された。
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