その後の日朝関係
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「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」の記事における「その後の日朝関係」の解説
1997年3月、脱北した北朝鮮の元工作員の証言で、金正日の指示によって北朝鮮が1977年に横田めぐみを拉致していたことが明らかになり、同様の拉致被害者が全国に数多く存在することが判明して、家族たちが実名を公表して救出運動を行なうことを決断し、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)が結成された。翌年4月には、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称「救う会」)が結成されている。 2002年9月17日、日本の小泉純一郎首相が平壌を訪問、金正日国防委員長との日朝首脳会談を行い、日朝平壌宣言が調印された。ここでは北朝鮮拉致問題の解決、統治時代の過去の清算、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれた。金正日は初めて公式に一部の拉致を認めて謝罪し、同年10月15日に拉致被害者の一部(5名)が北朝鮮から日本に帰国した。
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