さらなる発展と課題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/04 21:02 UTC 版)
クライン初期の定式化にある深みの幾分かは、おそらくは必ずしもぴったり相応の形式でないとしても、後にコンセプトが発展させられた様式の多様さの中に見られうる。(『同一視について』(1955)内においてだが、クラインは別のありうべき投影性同一視の型をほのめかしている。つまり、目的が他の(通常は目上の)対象の身体に「居住すること」で幻想を代理的に実現しようとすることである場合)。 クライン派のW.R.ビオンは初期に通常の投影性同一視と「病的な投影性同一視....投影される部分が微細な諸断片へとバラバラに分解されたり、これら対象の内に投影される微細な諸断片がそれであるような」の重要な区別を創出した。 「捕捉型投影性同一視...彼らがナポレオンであると信ずるような人の場合」が一方で、もう一方に「帰属型投影性同一視...(誰かに)取り込ませる、またある意味でその投影に『なる』」を置く、別の区別も創出された。 さらにローゼンフェルドは3種の投影性同一視を識別した。彼は「コミュニケーションに対して使われる投影性同一視と自己の望ましくない部分を取り除くために使われる投影性同一視を区別した。彼は以下の第三番目の使用を加える...分析者の心身をコントロールしようとする(した)場合。オグデンにおいては四要素の区分を作る。つまり、「投影性同一視とは...同時に、防衛のひとつの型であり、コミュニケーションのひとつの様式であり、対象関係の原初的形式であり、心理的変容のひとつの経路である」。 上記定式化のほとんどは、相反しているというより、重複的あるいは補完的に見えるだろう。しかしながら、外部対象への投影性同一視に関してと「自己自身の心の諸部分への投影性同一視」に関しての両方について考える人々と、そうしない人々の間に、より幅の広いまたおそらく相容れない裂け目があるように見える。「ここにおける核心問題は、実在する、投影の影響下にある外的他者が、この概念の本質的要素であるかどうかなのだ。英国のクライン派はNOと答え、アメリカの解釈者達はYESと答える」。
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