おばすて信仰と古文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 03:54 UTC 版)
山頂には冠着神社を祀る鳥居とトタン屋根の祠がある。祭神は月夜見尊で、権現社であったこともあると言う。山頂で蛍が舞う7月に氏子(現在では千曲市側自治会役員の輪番)が登って御篭もりをする祭りがある。また高浜虚子の「更級や姨捨山の月ぞこれ」の句碑(昭和32年9月建碑)もある。 この地の月に関する初見は『古今和歌集』(905年序、巻17-878)である。京都御所清涼殿には全国各地の名所の襖絵がそれぞれの和歌と共に描かれ、萩の戸と呼ばれる部屋には「おばすての やまぞしぐれる風見えて そよさらしなの 里のたかむら」との歌が添えられた千曲川の対岸から望んだと見られる冠着山の襖絵の存在が伝えられている。 江戸時代の作製と見られる川中島合戦陣取り図や善光寺道名所図会(いずれも長野市立博物館所蔵)には冠着山(冠着嶽)と姨捨山は明らかに別の山として描かれているものがある。古峠を通る古代の街道(東山道支道)を使用した官人や衛士・防人など旅人(作者不詳)によって古今集に歌われたオバステヤマは冠着山だ、と主張した麓の更級村初代村長の塚田雅丈による内務省(現在の国土地理院)への請願活動で「冠着山(姨捨山)」の名で一般的になったのは明治期以後と言われる。
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