『絶対安全剃刀』(1982年)
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「高野文子」の記事における「『絶対安全剃刀』(1982年)」の解説
詳細は「絶対安全剃刀」を参照 少女の葬式を幻想的に描いた「ふとん」(1979年)が注目され、この頃から高野は「ニューウェーブ」の作家と見なされるようになった。デビュー当初の高野は、他の漫画家・イラストレーターなどの影響を受けながら、ほとんど1作ごとに作風・画風を変え新しい表現方法を模索している。この時期はとくに『楽書館』から交流のあったさべあのまとの類似が指摘されているが、「方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行」では大友克洋のタッチを明確に意識した画風で学生生活の一こまを、「うらがえしの黒い猫」では萩尾望都に通じる絵柄・ストーリーを用いて空想に耽る少女を描き、「アネサとオジ」ではパロディタッチのギャグを見せ、「早道節用守」では浮世絵風の絵柄で山東京伝の戯作を漫画化している。 この時期の作品で、漫画研究・漫画評論の場においてもっとも話題に取り上げられたのは「田辺のつる」である。認知症の始まった老女を中心に、ある一家の情景を淡々と描いた作品であるが、高野は一家の中でこの老女のみ「きいちのぬりえ」風のかわいらしい幼女の姿で描き、客観的な視点の中に老女の錯乱した視点を紛れ込ませている。老女を幼女の姿で描くこの方法は漫画でしかなしえない表現としてさまざまな観点から論じられた。すでに大島弓子が『綿の国星』で猫を少女の姿で描いていたが、荒俣宏は「「田辺のつる」がすごかったのは、『綿の国星』で開発された手法と同じものを使いながら、それを老女に当てはめた上に、惜しげもなく一作で使い捨てた点にある(中略)各少女漫画家が窮めた持ち技から毎回犠牲を選んで、ほとんど暴力的にそれらを使い切ってしまう人が、かつてこの業界に出現したことがあっただろうか」と評している。 二人の少女の夏休みの情景を描いた「玄関」の頃より、「トーンの魔術師」とも評される巧みなトーンワークが顕著となる。この「玄関」までを収めた第一作品集『絶対安全剃刀』は1982年に白泉社より刊行、高野はこの作品集により第11回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した。
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