『ムルソー再捜査』- 『異邦人』の鏡像
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「カメル・ダウド」の記事における「『ムルソー再捜査』- 『異邦人』の鏡像」の解説
2010年に最初の小説『対ムルソーまたは2度殺された「アラブ人」』を発表した(2013年、アルジェリアのバルザフ社から『ムルソー再捜査』として刊行)。『ル・モンド』紙がこれを取り上げ、2014年にフランスのアクト・シュッド(フランス語版)社から刊行された。カミュの『異邦人』では、ムルソーが殺したアラブ人は作品全体で25回「アラブ人」と書かれるのみで名前がないのに対して、ダウドはこのアラブ人に「ムッサ」という名前を与え、ムッサの弟ハルーンがその背景やアルジェリア社会について語るという設定である。また、『異邦人』は有名な「きょう、ママンが死んだ」という言葉で始まるのに対して、ダウドの小説は、「きょう、マー(母)はまだ生きている」で始まる。そして、ムルソーがアラブ人を殺したように、ハルーンはジョゼフ・ラルケというピエ・ノワールを殺す。ダウドはこのような『異邦人』の外側にある世界、または「鏡像」を描くことで、フランス、アルジェリアのどちらの肩も持たず、両者の対立を越えようとした。彼は、アルジェリア人がカミュの話をするときには『異邦人』ではなく『シーシュポスの神話』に言及し、ムルソーがアラブ人を殺したことではなく、カミュが「神を殺した」ことを非難する、「イスラム原理主義者がサハラ砂漠で人質を殺害するのと同じ意味で、アルジェリア人はみなムルソーだ」という。アルジェリアのような全体主義国家は、フィクション(小説)に対して不寛容であり、フィクションを「作り事」として貶め、教訓として読み解き、プロパガンダに利用しようとする、この結果、カミュの作品は誤読されるのだと論じる。彼はカミュの作品を政治・歴史的な解釈から解放し、文学として読み解かれるために、これにフィクションとしての『ムルソー再捜査』を対置させたのだという。 『ムルソー再捜査』は日本語を含む世界28か国語に翻訳され、2013年、ゴンクール賞最終4候補作に残り、受賞は果たせなかったが、翌年、ゴンクール処女小説賞を受賞した。
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