「脱ダム宣言」とその影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:25 UTC 版)
だが、1990年代以降の公共事業見直し論議の波は天竜川にも及び、当時長野県知事であった田中康夫は「脱ダム宣言」を発表、長野県内で計画中の全てのダム建設を中止した。天竜川水系でも下諏訪ダムを始め郷士沢ダム・駒沢ダム・蓼科ダムが建設中止となった。この宣言に対しては「環境保護」・「利権行政脱却」の観点で評価する声が多い一方、具体的な代替案を示さず建設中止を強行したことで流域住民の安全が担保されていないという批判もある。 2006年(平成18年)7月、天竜川上流域を活発な梅雨前線による集中豪雨が襲った。岡谷市では土石流が発生し死者を出す惨事となり、天竜川も堤防が決壊するなど甚大な被害を受けた。この豪雨は気象庁によって「平成18年7月豪雨」と命名された。田中は直ちに現地に赴き陣頭指揮を執り、陸上自衛隊に災害派遣要請を迅速に実施するなど行政責任者として迅速な対策を講じた。被害地域は「宣言」で中止したダムこそなかったが、宣言以降の治水整備の遅滞に対する批判が反対派のみならずかつて田中を支持していた層からも噴出。2006年の長野県知事で落選した。後任の村井仁は「宣言」の見直しと各河川に合致した河川整備の早急な実施を掲げている。
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