「脚が三角に回った」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/05 00:24 UTC 版)
そして山口にとってタイトルに一番近づいたレースが1978年、平競輪場で開催された第31回日本選手権競輪であった。決勝戦では、弟の健治が果敢に逃げ、山口は番手。3番手を藤巻清志が固めていた。このまま番手の山口が差し、まさに「兄弟仁義の優勝」を果たすかに思われたが、その2年前のオールスター競輪において兄・昇と兄弟ワンツーを果していた藤巻にゴール寸前交わされてしまい、山口はまさかの2着に終わった。なお、健治は3着だった。 レース後、絶好の展開に恵まれながらも2着に終わった山口は、 『脚が三角に回った』 という、当時としては珍言とも取れる表現を使った。脚が三角に回るというのは、絶好の展開に恵まれすぎるあまり、気持ちばかり先走ってしまって、肝心の脚がついていけなくなることの例え話で、その後も競輪ではしばし使用される表現ともなった。 その後山口は翌1979年の競輪祭決勝においても、逃げる吉井秀仁の番手回りという絶好の展開に恵まれながらも、吉井を差すどころか、後方から鋭く追い込んできた福岡の堤昌彦にまで交わされて3着に終わった。またしても、「脚が三角に回ってしまう」レースを喫してしまう。その後も山口は何回かGIの決勝へと駒を進めるものの、とうとう優勝することはできなかった。
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