「空中蒸気車」と「空中輸送会社」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/03 01:51 UTC 版)
「ウィリアム・ヘンソン」の記事における「「空中蒸気車」と「空中輸送会社」」の解説
1838年ごろ、ヘンソンは航空に興味を持ち始めた。1841年4月には軽量な蒸気機関を発明して特許を取った。1842年ごろには同業者にして友人のジョン・ストリングフェロー (John Stringfellow)とともに、旅客輸送用の、蒸気機関を動力とする大型単葉機を設計した。翼幅は150ft(約46m)で、彼はこれを「ヘンソンの空中蒸気車(空飛ぶ蒸気車)」(Henson Aerial Steam Carriage )と名づけた(設計の詳細は後述)。彼は1843年にストリングフェロー、フレデリック・マリオット 、D・E・コロンバイン(D. E. Colombine )と共に特許を取得し、飛行機械を建造する資金を集める目的で同年にイングランドで「空中輸送会社」(Aerial Transit Company )を起業した。ヘンソンは自分で設計した縮小模型を作った。これは実験的な蒸気機関を動力としており、レール(guide wire)から離れて浮上もしくは跳躍した。1844年から1847年にかけて小型の模型と翼幅20ftの大型模型を飛ばそうと試みたが、成功には至らなかった。 空中交通会社は、大型模型での試みが失敗したために、空中蒸気車のフルサイズ版を作ることはなかった。ヘンソン、ストリングフェロー、マリオット、およびコロンバインは1848年ごろに会社を解散した。ヘンソンは飛行機の発明を諦め、1849年結婚してアメリカに移住した。ストリングフェローはその後も実験を続けた。
※この「「空中蒸気車」と「空中輸送会社」」の解説は、「ウィリアム・ヘンソン」の解説の一部です。
「「空中蒸気車」と「空中輸送会社」」を含む「ウィリアム・ヘンソン」の記事については、「ウィリアム・ヘンソン」の概要を参照ください。
- 「空中蒸気車」と「空中輸送会社」のページへのリンク