「無罪投票をした人々」への辞世の挨拶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:19 UTC 版)
「ソクラテスの弁明」の記事における「「無罪投票をした人々」への辞世の挨拶」の解説
31. 無罪投票をしてくれた諸君(正当な「裁判官」諸君)へ。「ダイモニオンの声」は、今回の件で一度も現れなかったので、今回の出来事はきっと善い事である。死を禍だと考える者は間違っている。 32. また、死は一種の幸福であるという希望には以下の理由もある。死は「純然たる虚無への回帰」か、「生まれ変わり、あの世への霊魂移転」かのいずれかである。前者であるならば、死は感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものであり、驚嘆すべき利得である。後者であるならば、数々の半神・偉人たちと冥府で逢えるのだから言語を絶した幸福である。 33. 「裁判官」諸君(無罪投票をしてくれた諸君)も、「善人に対しては生前にも死後にもいかなる禍害も起こり得ないこと、神々も決して彼を忘れることがないこと」を真理と認め、楽しき希望を以て死と向き合うことが必要である。したがって、自身(ソクラテス)は告発者や有罪宣告をした人々にも、少しも憤りを抱いてはいない。なお、自身(ソクラテス)の息子達が成人した暁には、自身(ソクラテス)が諸君にしたように、彼らを叱責・非難して悩ませてもらいたい。蓄財よりも徳を念頭に置くように、ひとかどの人間でもないのにそうした顔をすることがないように。去るべき時が来た。自身(ソクラテス)は死ぬために、諸君は生きながらえるために。両者の内、どちらが良き運命に出逢うか、神より他に知る者はいない。
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