「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説とは? わかりやすく解説

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「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 06:37 UTC 版)

エンタシス」の記事における「「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説」の解説

1893年日本明治時代)、帝国大学現在の東大院生伊東忠太が、法隆寺胴張り起源古代ギリシャにあるとする論文学位論文)「法隆寺建築論」を発表した。この説は和辻哲郎昭和時代発表したエッセイ古寺巡礼』によって特に有名となった。 ただし、建築史家藤森照信によると、この説は建築史的には「ウソとのこと。この説が生まれた背景には、明治時代日本の建築家において、「日本建築西洋建築に対して遅れた物である」という大きな劣等感があったため、ヨーロッパ文化原点であるギリシャ日本の建築つながっていることを示す狙いがあったという。 ギリシャ美術研究家前田正明も、ギリシャ建築様式その周辺諸国への伝播経緯から考察し、「たとえそこにエンタシスが観られるからといってこの法隆寺中門金堂内陣などのドリス様式影響観るのは誤りである。」と否定している。 伊東自説証明するため、中国からインドトルコなどを経てギリシャまで3年がかりで徒歩旅行したが、日本ギリシャ以外のどこにもエンタシスを見つけることはできず、結局この説を証明することは出来なかった。なお伊東アジアでの調査中に浄土真宗本願寺派法主大谷光瑞率い大谷探検隊遭遇したことがきっかけで交流始まり築地本願寺設計依頼を受けることとなった

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