「法と文学」研究に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/29 19:06 UTC 版)
「法と文学」の記事における「「法と文学」研究に対する批判」の解説
リチャード・ポズナーは、「法と経済学」研究において、重要な役割を果たしている。彼は、その著書「法と文学」において、「法と文学」研究に対し、徹底した批判を展開している。この著書は、ポズナーの経済分析的な視点に対する批判を展開したロビン・ウェスト(英語版)の著作に対する反論の書として、みなされている。ポズナーは、文学作品自体に高い価値を認める一方で、ホワイト、ワイズバーグ、ウェストに対する批判として、文芸批評は、法的解釈論にとって重要ではないと主張する。 ポズナーは、法学上の議論において、文芸批評的な手法を利用するべきではなく、ウェストのような文芸批評的な法解釈論を珍奇なものであると批評している。ポズナーは、文学作品が作家の意図を超えたところで文脈に応じて語義を変化させることから、法的解釈論には有用ではないと考えている。彼は、「文学における法」を補助的な研究領域であると位置付けながら、小説の主要な内容が常に人間と法の在り方に関連しているわけではないことを指摘している。 このような観点から、ポズナーは、文学に関して、それが文学的であること以上の価値を認めない。このようなポズナーの主張は、リチャード・ワイズバーグの見解とも対峙するものである。ポズナーは、法学研究における文学の重要性は、個々人の文学的素養を高めるという個人的な価値としての補助的な意味にしか捉えていない。すなわち、ポズナーは、時代を批判する精神の発露として、文学作品に社会的価値があるものとは考えていない。したがって、文芸批評に法理学と法を改革する価値というものをポズナーは認めない。 リチャード・デルガードとジーン・ステファンシックは、アメリカ史上、重要で有名な法的事件の分析において、ホワイトに反対し、ポズナーを支持していた。その分析によれば、法的な判決理由の形成において、同時代的な文学作品の影響力は、非常に限定されたものであると指摘されている。すなわち、デルガードとステファンシックによれば、裁判官の道徳的な見解は、文学によるというよりも、むしろ規範的な意味で社会的・政治的視点において決定される。
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