「法と開発」研究の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:43 UTC 版)
「法と社会」研究から派生する形で形成されてきた「法と開発」研究は、1960年代に、アメリカ合衆国国際開発庁の下で、アフリカの開発支援に取り組んでいた。彼らの議論は、マックス・ヴェーバーやタルコット・パーソンズらの社会理論の強い影響の下、単線的な発達史観を前提にしており、途上国に対してアメリカといった先進国の法制度を輸出し整備することによって、途上国の近代化を加速することができるというものであった。トゥルーベックは、「法と開発」研究の第一人者としてアフリカの支援に携わっていたが、そこで挫折を味わうことになる。すなわち、アメリカ的な法制度の輸出は、近代化をもたらし、人々の自由を確保するどころか、逆に権威主義体制に利用され、人々の抑圧に利用されたのである。こうした経験から、トゥルーベックは、アメリカの法制度の限界や自明としている前提を見定める必要性に駆られ、批判法学の形成へと向かうことになる。
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