「法政大学」への改称
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1898年(明治31年)には財団法人(学校法人法政大学の前身)が認可されて理事・監事制度を設け、翌1899年(明治32年)には現在も刊行が続いている研究誌『法学志林』が創刊されるなど梅校長のもとで教育・研究機関としての整備が進行した。1903年(明治36年)8月、学校名を「法政大学」と改称し、梅が初代総理(現在の総長)に就任したが、この時点では専門学校令に準拠する旧制専門学校であり、名実ともに(大学令による)大学となったのは1920年(大正9年)4月16日のことである。
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