「勇気(強硬)」と「慎重(穏健)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 06:07 UTC 版)
「政治家 (対話篇)」の記事における「「勇気(強硬)」と「慎重(穏健)」」の解説
こうして「王者/政治家(の知識/技術)」以外の人々(の知識/技術)を排除し終えた客人は、いよいよ締め括りとして、その「王者/政治家の知識/技術」の内実、すなわち「機織り機」という「類例」で言うところの「編み合わせ作業」の中身へと、踏み込んでいくことになる。 そこで客人はまず、人間の 「勇気(アンドレイア)」 - 強硬 「慎重(ソープロシュネー/節制/思慮の健全さ)」 - 穏健 という2つの対立的な性質/気質について取り上げる。 これら2つは、時宜・限度が合った形で発揮された場合には、「美徳」とされ、それぞれ 勇壮・激烈・活発・男らしい 静穏・粛然・悠然・慎み深い などと称賛されるが、時宜・限度が合わない形で発揮された場合には、それぞれ 過激・狂暴 臆病・怠惰 などと非難されるものであり、また相互に相容れず(混じり合わず)、常に対立/闘争/憎悪し合ってもいる。 (そして人間は誰しも、その「2種類の性格」の「どちらか一方」を、「自分の固有の気質」と合致するものとして称賛し、「他方」を「自分たちとは根本的に異質」だと非難し、敵対しがち(敵対関係に、巻き込まれ/飲み込まれがち)である。) そうした対立/闘争/憎悪が、「遊戯」水準で済んでいる内はいいが、「国家公共の最重要事項」の上に生じてくると、「国家の存立」を脅かす「最恐の病弊」となる。すなわち、 「勇気(強硬)」の側が国家の主導権を握ると、好戦的となり、多数の強国から憎悪されて窮地に追い込まれ、滅亡するか、敵国に隷属する地位へと国家を没落させる。 「慎重(穏健)」の側が国家の主導権を握ると、度を超えた極端な平和主義・不戦主義に陥り、外部からの侵略・蹂躙によって破滅する。 といった、実際に諸国家が辿ってきた滅亡の道へと進む危険性が孕まれているのにも関わらず、両者は党派的な敵対/憎悪関係をやめることができないと、客人は指摘する。ソクラテスも同意する。
※この「「勇気(強硬)」と「慎重(穏健)」」の解説は、「政治家 (対話篇)」の解説の一部です。
「「勇気(強硬)」と「慎重(穏健)」」を含む「政治家 (対話篇)」の記事については、「政治家 (対話篇)」の概要を参照ください。
- 「勇気」と「慎重」のページへのリンク