「三部作」からの脱落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:12 UTC 版)
「修道女アンジェリカ」の記事における「「三部作」からの脱落」の解説
プッチーニはこれらの不評に落胆し、かつ驚いた。彼自身にとって『アンジェリカ』は「三部作」中最も自信をもって送り出した作品であったからである。 1920年6月18日からの「三部作」ロンドン初演(於コヴェント・ガーデン劇場)ではやはりダッラ・リッツァがアンジェリカを歌ったが、2夜目以降それは演奏されなくなった。公式の理由としてはダッラ・リッツァの発声障害によるとされたが、彼女は『ジャンニ・スキッキ』ラウレッタ役は同夜以降も歌い続けているので、劇場が『アンジェリカ』を嫌ったとみるのが自然であろう。プッチーニはこの措置に猛烈に抗議したが、結局同シーズン中『アンジェリカ』は再演されることはなかった。 以後各地の劇場でも類似の事態となり、『修道女アンジェリカ』は「三部作」中、最初に劇場レパートリーから脱落していったオペラとなった。 このオペラの不人気だった理由であるが、プロテスタント諸国でそれは「あまりにカトリック的」とみなされた一方、イタリアなどカトリック諸国ではその奇蹟物語が「陳腐で安っぽい」と見られた[要出典]。劇場運営側にとって、このオペラが女声歌手ばかりを多数揃えなくてはならない(端役も含めて10数人の女声を要する)点で高コストな、悩ましい作品であったことも原因の一つであろう。音楽面からは全曲を通じてドラマの盛り上がり、変化に乏しいとも指摘されている。
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