「ティティプー」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 07:39 UTC 版)
「ミカド (オペレッタ)」の記事における「「ティティプー」について」の解説
物語の舞台「日本の首都ティティプー」は日本語話者が聞くといかにも架空の街という響きであるが、秩父(チチブ)のことではないかとする見方もある。 秩父説の根拠としては、初演の前年に秩父事件が英国の新聞でも報道されていたこと、また、事件の前後にも秩父の名は絹製品の輸出で西ヨーロッパに知られていたことが挙げられる。今日秩父のローマ字表記はヘボン式のChichibuが一般的であるが、19世紀の日本では日本式ローマ字を用いたTitibuの綴りが一般的だった。これが転じてTitipuとなったとも見ることが出来る。秩父説の伝播には、日本では1987年(昭和62年)に刊行された猪瀬直樹の著書『ミカドの肖像』と永六輔のラジオ番組が一役買ったようである。 ちなみに、第二次世界大戦前の日本最大の豪華客船「秩父丸」(日本郵船、17,498gt)は、1930年の竣工当初 Chichibu Maru と称し、1938年にTitibu Maruにローマ字表記を改めたが、titがアメリカのスラングで乳首を表す言葉だということでこれを忌避し、翌1939年に鎌倉丸に改名した経緯を持つ。
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