「チャイルドブランド」の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:02 UTC 版)
「羽生世代」の記事における「「チャイルドブランド」の台頭」の解説
後に「羽生世代」と呼ばれる棋士達のうち、10代から目覚ましい活躍をした羽生・村山・佐藤・森内の4人は、島朗によって「チャイルドブランド」と命名された(年上の森下卓(1966年7月10日- )も広義でチャイルドブランドの一人とされた)。「アンファン・テリブル」と呼ばれることもあった[要出典]。4人のうち羽生・佐藤・森内の3人は、島が主宰する研究会「島研」で腕を磨いたメンバーであった。 1980年代後半、彼らは先輩棋士達を打ち負かしていく。1988年度のNHK杯戦では、18歳の羽生が4人の名人経験者(大山康晴十五世名人、加藤一二三九段、谷川浩司名人(準決勝)、中原誠棋聖・王座(決勝))を破って優勝したことで、注目を集めるようになる。 1989年度の竜王戦で当時19歳の羽生が竜王位を獲得。続く棋聖戦で当時17歳の屋敷伸之が挑戦権を獲得し羽生の最年少挑戦記録をすぐに更新したことで、10代棋士の活躍が騒がれるようになる。近代将棋1990年2月号「プロ棋界最前線」で武者野勝巳五段は「チャイルドブランド」として羽生、村山、佐藤、森内、先崎、屋敷の6名の名前をあげている。郷田、藤井、丸山、深浦の4名は当時はまだ奨励会員だった。 羽生よりも1学年下の屋敷は翌1990年度の棋聖位を獲得してさらに注目を集めるが、順位戦での伸び悩みがあり、「羽生世代」の名称が定着する頃には入らないことが多くなった。屋敷と同学年の深浦も全棋士参加棋戦では1992年に早々に優勝していたものの、羽生の1学年下であることや順位戦A級昇級や初タイトル獲得が遅かったことから「自分は羽生世代ではない」と感じていた。しかし歴史的な視点で見れば2人とも「羽生世代」といえる。
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