「センチュリー」の系譜
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「EY新日本有限責任監査法人」の記事における「「センチュリー」の系譜」の解説
1985年(昭和60年)10月、太田と昭和の合併と同時に3つの中堅監査法人の合併報道が世間の注目を浴びた。いずれも最初期に設立された法人であり、またいずれも実質的に一つの企業グループを監査するための法人であった。つまり、監査法人第一監査事務所は第一勧銀グループを、日新監査法人は松下グループを、武蔵監査法人は日立グループを、それぞれほぼ専属で監査していた。これらは海外提携先がピート・マーウィック・ミッチェルであった点も共通しており、企業グループの拡大や国際業務・IT化に対応するため、またスケールメリット享受のため太田昭和合併の翌年に合併を決め、センチュリー監査法人となった。更に翌1987年(昭和62年)には北海道の企業に強い栄光監査法人を吸収。常勤公認会計士数277名・クライアント数627社・業務収入40億円という他の大手法人に比肩する規模まで成長し、報道等でも「第五勢力」として扱われるようになった。スケールと地盤を獲得した流れで、国鉄民営化に際しては北海道旅客鉄道をクライアントとして獲得している(一方で太田昭和は西日本旅客鉄道を獲得)。 1989年(平成元年)、海外提携先のピート・マーウィック・ミッチェルはBig8に次ぐヨーロッパ地盤の会計事務所、クラインベルト・メイン・ゲルデラーと合併しKPMGとなる。これに合わせて翌年にはピート・マーウィック・ミッチェルが国内提携のため設立した日本法人の港監査法人を吸収、国外への業務拡大の弾みとなった。
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