「うちわ」の由来と現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:41 UTC 版)
「熊谷うちわ祭」の記事における「「うちわ」の由来と現状」の解説
“1902年頃より料亭「泉州」が、手間のかかる赤飯に替えて、店名入りの渋団扇を配ったところ、当時の生活必需品とあって好評を博し、他商店が追随した。3銭の買い物に対しても5銭の団扇をサービスし、「買い物は熊谷のうちわ祭の日に」と言われるようになった”というのが定説となっている。うちわが採用された理由は、「泉州」主人が修行で東京に居たときにうちわが飛び交う日本橋小舟町の天王祭を見た影響とされる。最初に「泉州」が配った渋団扇は、東京日本橋小舟町の団扇扇子舗「伊場仙」製のものであったとされる。団扇が赤飯にとって替わった時期については、江戸時代の内とも明治時代中期とも言われるが、確たる資料は現存しない。 火起こしなどに使われた渋団扇は既に生活必需品ではなくなったが、祭りの名称とあって、期間中に団扇を配布する習慣は健在である。現在では、表面は青地に「うちわ祭」の大書や祭りの由来、公式サイトへのQRコード等が書かれた統一デザイン、裏面には店名等が書かれたものが、行宮をはじめ各所で大量に配布されている(なお、柄・骨はプラスチック製になっている)。また、これとは別に祭りの時期に合わせて宣伝広告用の団扇を用意する企業・団体等も少なくない。
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