洋子
…洋子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 14:55 UTC 版)
「…洋子」 | ||||
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尾崎和行&コースタルシティ の シングル | ||||
初出アルバム『One More Time Sing A Song』 | ||||
B面 | 悲しみをバラまいて | |||
リリース | ||||
規格 | EP | |||
レーベル | コンチネンタルレコード | |||
作詞・作曲 | 尾崎和行 | |||
ゴールドディスク | ||||
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チャート最高順位 | ||||
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尾崎和行&コースタルシティ シングル 年表 | ||||
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「…洋子」(ようこ)は、1985年11月20日にリリースされた尾崎和行&コースタルシティのデビューシングルである。
解説
1985年9月に行われた第30回ヤマハポピュラーソングコンテスト及び、同年10月に行われた第16回世界歌謡祭と続けてグランプリを受賞した曲である[1][2]。
曲のタイトルにもなっている「洋子」とは内藤洋子のことである。
ちなみに、元プロ野球選手(外野手)の藤井康雄は、プリンスホテルへ勤務していた時期に第16回世界歌謡祭を日本武道館で観覧。尾崎がこの曲でグランプリを受賞した瞬間にも立ち会った。藤井は1987年に阪急ブレーブスへ入団すると、後継球団であるオリックスブルーウェーブの在籍中に、当時コースタルシティを解散していた尾崎との交流を開始。藤井が球界屈指の美声の持ち主であることから、1999年には、尾崎のプロデュースで3曲入りのアルバムをブルースターレコードから発売するまでに至った。そのうちの1曲が「…洋子'99」というカヴァーソングで、アルバムのタイトルにも使われている[3]。
収録曲
- …洋子
- 悲しみをバラまいて
尾崎和行&コースタルシティ
脚注
- ^ “第30回ポピュラーソングコンテスト”. イベントヒストリー. ヤマハ音楽振興会. 2014年2月27日閲覧。
- ^ “第16回世界歌謡祭”. イベントヒストリー. ヤマハ音楽振興会. 2014年2月27日閲覧。
- ^ “代打満塁本塁打日本記録を持つレジェンドバッターが仰木監督・イチロー選手との思い出を語る”. としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!. ラジオ関西. 2021年4月20日閲覧。
関連項目
洋子(ようこ)
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「甘く危険なナンパ刑事」の記事における「洋子(ようこ)」の解説
権藤の幼馴染み。権藤とは洋ちゃん、ゴンチャンと呼び合う。銚子在住で美人。権藤が幼い頃からずっと見守ってきたと言う想い人。
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「洋子」の例文・使い方・用例・文例
- この方が、「真砂館」のおかみさんの染葉洋子さん。
- 洋子は来週京都へ行くだろう。
- 洋子は私の質問に答えることを避けた。
- 洋子は今ロンドンにいる。彼女は英語を勉強している。
- 洋子は一体どこへ行ってしまったのだろう。
- 洋子はみんながびっくりするような優雅さで踊った。
- 洋子はバレーボールの主将です。
- 洋子はそれらのいくつかを買った。
- 洋子はジョンを完全に無視したし、ジョンのほうも彼女を同じように無視をした。
- 洋子はコンピューターを買えない。
- 洋子はこれ以上独りで住むのは不可能だと思った。
- 洋子はきのう買い物に行った。
- 洋子の叔母さんは体が弱すぎて働けない。
- 洋子さんは英語を話しますね。
- 洋子さんと由美さんとではどちらが英語を上手に話せますか。
- 洋子がそういうのももっともだ。
- 私は洋子を説得してタバコを止めさせた。
- 私は洋子がタバコを止めるだろうと思った。
- 洋子は何事も中途半端なことはしない.
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