'70~'90s中頃 -隆盛期-
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「ゲイ雑誌」の記事における「'70~'90s中頃 -隆盛期-」の解説
1970年代~90年代中頃まではゲイ雑誌がゲイ向けメディアの中心に位置していた。1977年(昭和52年)1月、薔薇族50号記念号(3月号)に詩人寺山修司が『世界はおとうとのために』という詩を寄せた。1981年には薔薇族10周年の盛大なパーティーが開かれ、100号の記念号を刊行した暁には「週刊文春」にも記事が載った。また1980年代頃まではゲイバーや発展場を除いては、出会いツールとしての役割も独占し、その頃出会いの場が限られていたゲイ男性に貴重な出会いの場を提供していた。それが80年代終わりのバブル時代頃からゲイ専用伝言ダイヤルやダイヤルQ2が広まることで、出会いの場を提供するのはゲイ雑誌の通信欄だけではなくなり、出会いツールとしての不動の地位が揺らぎ始めていく。 また1980年代はゲイ雑誌界に2つの変化が起きた。一つが「アドン」が1980年代終わり~1990年頃から、それまでのポルノ中心路線からゲイリベレーションに関する記事を増やし始めたこと、もう一つが創刊当初は若専・普通体型路線だったサムソンが数年後にデブ専路線に転じたことである。アドンがポルノ系の記事はほぼ載せなくなった頃は、HIV問題やゲイがいかに生きるかというアクティビティに注目が集った時期でもあり、アドンの誌面ではゲイ団体のメンバーのゲイ・スタディーズやマルクス主義的なゲイ解放理論がよく紹介されていた。それが原因の一つともなり、同誌の部数は低迷して96年に廃刊することになる。
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