M-TEC レース活動

M-TEC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 01:06 UTC 版)

レース活動

TEAM MUGEN
国籍 日本
活動期間 1985年 - 現在
カテゴリ FN/SF
JGTC/SUPER GT
JTC/JTCC
チームズ
タイトル
JTCC(1997年)
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年、2002年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2022年、2023年)
ドライバーズ
タイトル
JTC クラス3(1987年、1988年、1991年、1992年)
JTCC(1997年)
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2013年、2018年、2021年、2022年)
公式サイト http://www.mugen-power.com/motorsports
2024年のスーパーフォーミュラ
エントリー名 TEAM MUGEN
レーサー 15. 岩佐歩夢
16. 野尻智紀
マシン Red Bull MOTUL MUGEN SF23ホンダ
タイヤ 横浜ゴム
2024年のSUPER GT (GT500)
エントリー名 ARTA[2]
レーサー 8.
野尻智紀
松下信治
16.
大津弘樹
佐藤蓮
マシン 8. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT
16. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT
タイヤ ブリヂストン
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F1に関する活動については、#F1への挑戦 に別記している。

無限

1985年(昭和60年)から1993年(平成5年)まで全日本ツーリングカー選手権 (JTC) にシビックで参戦し、1987年(昭和62年)、1988年(昭和63年)、および1991年(平成3年)から1992年(平成4年)にかけてディビジョン1/クラス3のシリーズチャンピオンを獲得した。

1994年(平成6年)、1995年(平成7年)の全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にシビックフェリオ1996年(平成8年)、1997年(平成9年)にアコードで参戦し、1997年(平成9年)にはシリーズチャンピオンを獲得した。

1998年(平成10年)から2003年(平成15年)まで全日本GT選手権 (SUPER GT) のGT500クラスにNSXで参戦し、2000年(平成12年)にはドライバー/チーム、2002年(平成14年)にはチーム/チューナー部門でシリーズチャンピオンを獲得した。

2輪では、1976年(昭和51年)から1992年(平成4年)までの16年間、全日本モトクロス選手権に無限オリジナルモトクロッサー・ME(無限・エルシノアの略)シリーズで参戦。他のワークス・チームに先駆けて、フロントサスペンションのロングストローク化やエンジンの水冷化、アルミフレームの採用など、数々の新機軸を盛り込んだ先鋭的なマシンを送り出した。また無現・MEは1980年(昭和55年)のモトクロス世界選手権アメリカGPの125ccクラスにおいて、ジョニー・オマラのライディングで優勝を飾っている。ロードレースにおいては、1984年と1985年に生沢徹率いるTeam Ikuzawaと由良拓也率いるムーンクラフトと手を組んで、鈴鹿8時間耐久ロードレースCBX750Fのエンジンをオリジナルフレームに搭載したオリジナルマシンの無限・ホワイトブルで参戦している。

M-TEC

2004年(平成16年)は、前年のGT500クラスで使用していたNSXに若干の変更(エアリストリクター径の縮小、タイヤをブリヂストンからダンロップに変更など)を加え、GT300クラスに参戦した。開幕戦から常に上位争いに加わり、シリーズチャンピオンを獲得した(優勝は最終戦の1回)。シーズン当初は「ちょんまげ」(ルーフの上に設置されるエアインテークの通称。メーカーオプション)を封印していたが、同年最終戦以降に使用を再開。

2005年(平成17年)も常に上位の成績を上げ、シーズンランキング2位となる。同年からは、メンテナンスガレージ及び実質レース運営としてGT500クラスに参戦しているチーム国光の100号車を請け負った。

2006年(平成18年)より独自チームでの参戦は一旦なくなったが、2012年(平成24年)に第4戦(菅生)よりCR-ZでGT300クラスに参戦することが決まり、7月4日にツインリンクもてぎでのシェイクダウンと合わせて正式な体制が発表された。この年はシーズンランキング15位に終わったが、2013年(平成25年)はS-GTのシリーズポイントが付与される1戦となった、アジアン・ル・マン・シリーズ(AsLMS)第2戦(富士)で優勝したほか全戦で入賞した結果、ドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。翌2014年(平成26年)まで参戦した。

2017年(平成29年)より「TEAM MUGEN」としてGT500クラスに復帰し、第6戦(鈴鹿1000km)では第3ドライバーとしてジェンソン・バトンをスポット起用した。

2010年(平成22年)よりフォーミュラ・ニッポンへ独自チームでの参戦を開始し、シリーズ名称がスーパーフォーミュラに変わった2013年(平成25年)と2018年(平成30年)、2021年(令和3年)にはドライバーズチャンピオンを獲得。2022年はドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。

2006年(平成18年)より始まった全日本スポーツカー耐久選手権 (JLMC) へ第2戦より参戦した。マシンはクラージュ・C70で、エンジンはMF458S (V8 4,500 cc NA)、タイヤはミシュランを使用。しかし、2007年(平成19年)シーズンをもってJLMCが消滅したため参戦を終了した。

エンジン・マニュファクチャラーとしては、SUPER GT(GT500のNSX及びGT300のVemac・RD408R)やフォーミュラ・ニッポンF3等でエンジン供給を行っている。2008年(平成10年)からは世界ツーリングカー選手権 (WTCC) に参戦するホンダ・アコードユーロRにもエンジン供給を開始した。2014年(平成26年)から、HRD Sakura からの受託業務としてGT500 NSX のパーツサポート業務を行っている。これは、同年よりこれまで同業務を受託した童夢が業務縮小に伴い撤退した為と言われている。

2012年(平成24年)には競技用の電動オートバイ『神電』(shinden) を開発し、マン島TTレースのTT-Zeroクラスに出走。2012年・2013年はクラス2位に終わるが、2014年から2019年まで6連覇を達成している[3]


  1. ^ 『GP Car Story Special Edition MUGEN-HONDA』(三栄、2021年10月)pp.6 - 7
  2. ^ 2023年 M-TECモータースポーツ活動概要”. 無限 MUGEN. 2023年4月7日閲覧。
  3. ^ 神電は、年度毎に漢数字でモデル名が名づけられている。例えば2017年モデルは神電六、2018年モデルは神電七といった具合である。
  4. ^ 『Racing On 2009年4月号』三栄書房、2009年、P.40-P45頁。JANコード 4910096810499。 
  5. ^ a b 『GP Car Story Vol.31 Jordan 199』(三栄、2020年4月)pp.34 - 39
  6. ^ a b 「無限」のかっこよすぎるチューニングカー5選”. car-me.jp. 2022年2月12日閲覧。
  7. ^ 無限 | MUGEN RR | MUGEN RR プレスリリース”. www.mugen-power.com. 2022年2月12日閲覧。
  8. ^ 10分で完売! シビックMUGEN RR






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