1984年の映画
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出来事
世界
- 米国、『フットルース』(ハーバート・ロス監督)、『パープルレイン』(アルバート・マグノーリ監督)、『ストリート・オブ・ファイヤー』(ウォルター・ヒル監督)などレコード・セールスを目的とした映画作りがブーム[1]。
- 米国、『ゴーストバスターズ』(アイヴァン・ライトマン監督)が1億2700万ドルで[注 1]配給収入1位[1]。2位は『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(スティーヴン・スピルバーグ監督)の1億900万ドル[1][2]。
- 1月27日 - 黒澤明監督が仏レジオンドヌール勲章(オフィシエ)受章[3]。
- 2月15日 - ウォルト・ディズニー・プロダクションがタッチストーン・ピクチャーズを設立。
- 6月2日 - 『序の舞』(中島貞夫監督)、第8回タシケント映画祭で映画芸術特別大賞受賞[4]。
- 6月22日 - 英国、ジョゼフ・ロージー監督死去[1][5]。
- 8月5日 - 英国、俳優リチャード・バートン死去[1][6]。
- 9月22日 - ウォルト・ディズニー・プロダクションの新経営陣にマイケル・アイズナー会長(パラマウント映画社長)、フランク・ウェルズ社長(ワーナー・ブラザース元社長)が就任。
- 9月26日 - 台湾で日本映画解禁となり、松竹『砂の器』(野村芳太郎監督) など4作品が公開される[7]。特に、東映『魔界転生』(深作欣二監督)がヒット[7]。
- 10月 - モーション・ピクチャー・アソシエーション・オブ・アメリカ(MPAA)、レイティングに「PG13」を新設[7]。
- 10月6日 - 日劇3劇場(日本劇場・日劇東宝・日劇プラザ)のオープンに合わせ、永年の米国映画への貢献に感謝し、ロサンゼルス市長が「東宝株式会社の日」を宣言する[7]。
- 10月21日 - フランス、フランソワ・トリュフォー監督死去[1][8]。
- 11月12日 - 川喜多記念財団理事・川喜多かしこが仏芸術文化勲章(コマンドール)受章[7]。
- 12月8日 - タイ・バンコクで開催された第29回アジア太平洋映画祭において『序の舞』(中島貞夫監督)が作品賞受賞[7]。
日本
- 1月
- 2月
- 3月
- 4月
- 5月
- 6月
- 6月1日 - ソニー、ビデオシアターシステムの販売とソフトウエアの供給事業を行う新会社シネマチック・ジャパンを設立[3]。
- 6月9日 - 『天国の駅 HEAVEN STATION』(出目昌伸監督)封切、ヒット[4]。
- 6月15日 - 文化庁芸術祭懇談会が芸術祭見直しの最終報告提出[3]。映画、放送、レコードが芸術祭の対象から外される[3]。
- 6月20日 - 東京プリンスホテルで9年ぶりのゴジラ映画の新作・『ゴジラ』の製作発表が行われ、田中友幸(東宝映画代表取締役社長)、松岡功(東宝代表取締役社長)、大橋雄吉(東宝取締役事業部長)、橋本幸治監督、中野昭慶特技監督、田中健、沢口靖子、宅麻伸、小林桂樹らが出席。7月7日に特撮班、7月9日に本編がそれぞれクランクインし、9月27日に本編、10月4日に特撮班がそれぞれクランクアップした[15]。
- 7月
- 8月
- 9月
- 10月
- 日比谷映画劇場、有楽座の閉館記念イベント「さよならフェスティバル」開催[7]。日比谷映画劇場(10月13日 - 11月11日)、有楽座(10月20日 - 11月11日)[7]。
- 10月1日 - 昭和59年度国際交流基金・奨励賞を川喜多記念映画文化財団が受賞[7]。
- 10月6日
- 日本劇場跡地に有楽町センタービル(有楽町マリオン)がオープン[19]。有楽町阪急、有楽町西武開店[7]。
- マリオン内に東宝系の日本劇場・日劇東宝・日劇プラザが開館[19]。日本劇場は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(セルジオ・レオーネ監督)、日劇東宝は『おはん』(市川崑監督)、日劇プラザは『アンナ・パブロワ』(エミーリ・ロチャヌー監督)[7]。
- 松竹系の丸の内ピカデリーがマリオン内に移転[19]。ピカデリー1は『上海バンスキング』(深作欣二監督)、ピカデリー2は『ポリスアカデミー』(ヒュー・ウィルソン監督)で開幕[7]。
- 『おはん』主演の吉永小百合と石坂浩二の手形プレートが有楽町マリオン1階新幹線側歩道に埋め込まれた[7]。
- 10月9日 - 9月3日の火災により上映休止中の東京国立近代美術館フィルムセンターが、北の丸公園の東京国立近代美術館本館講堂で上映活動を再開する[7]。
- 10月10日 - イラストレーターの和田誠『麻雀放浪記』で〔実写〕映画監督デビュー[1][20]。
- 10月23日 - ビデオ著作権の保護と違法レンタルなど不正行為の監視摘発を目的とした「ビデオ著作権保護・監視機構」が設立される[7]。
- 10月27日 - 千代田劇場が日比谷映画に名称変更[21]。新・日比谷映画『魔界の大陸』[22]、みゆき座『ブレスレス』でリニューアル・オープン[7]。
- 11月
- 12月
注釈
- ^ 『The Hollywood Story』では、132.7 $MILLIONS となっている[2]。
- ^ 『東宝75年のあゆみ』では、「11月16日」となっている。
- ^ 日本映画製作者連盟の発表では16.5億円となっている[31]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は23.1億円となっている[33]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は17.0億円となっている[33]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は31億7600万円となっている[33]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は29億0600万円となっている[33]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は16億9000万円となっている[33]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は15億4100万円となっている[33]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は14億9800万円となっている[33]。
出典
- ^ a b c d e f g h 石原良太 1986, p. 145.
- ^ a b Finler, Joel Waldo (2003) (英語). The Hollywood Story. Wallflower Press. p. 360. ISBN 978-1-903364-66-6 2024年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 東宝 2010b, p. 234.
- ^ a b c d e 東映 1992, p. 76.
- ^ “ジョセフ・ロージー(Joseph Losey)について”. allcinema. スティングレー. 2024年4月2日閲覧。
- ^ 20世紀西洋人名事典『リチャード バートン』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 東宝 2010b, p. 235.
- ^ “フランソワ・トリュフォー:プロフィール・作品情報・最新ニュース”. 映画.com. 2024年4月2日閲覧。
- ^ a b c 東映 1992, p. 78.
- ^ 日活 2014, p. 134.
- ^ “AGAIN”. 日活公式サイト. 日活. 2023年3月11日閲覧。
- ^ a b 岩波 1996b, p. 600.
- ^ a b 東映 1992, pp. 76–77.
- ^ a b 松竹 1985, p. 696.
- ^ 東宝SF特撮映画シリーズ 1985, p. 140.
- ^ “東京国立近代美術館フィルムセンター火災”. 東京文化財研究所 (2015年11月20日). 2019年9月26日閲覧。
- ^ 山川 1987, p. 469.
- ^ 谷川 1993, p. 184.
- ^ a b c 前野裕一 2018, pp. 234–236.
- ^ “麻雀放浪記 : 作品情報”. 映画.com. 2024年4月9日閲覧。
- ^ a b 前野裕一 2018, pp. 240–241.
- ^ “映画 魔界の大陸 (1978)について”. allcinema. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “お葬式 : 作品情報”. 映画.com. 2024年4月9日閲覧。
- ^ 斉藤 2009, p. 98.
- ^ “第32作 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎”. 『男はつらいよ』公式サイト. 松竹映画. 2016年12月28日閲覧。
- ^ “第33作 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎”. 『男はつらいよ』公式サイト. 松竹映画. 2016年8月5日閲覧。
- ^ “小売物価統計調査(動向編) 調査結果”. 統計局. 2016年8月3日閲覧。
- ^ “主要品目の東京都区部小売価格:昭和25年(1950年)〜平成22年(2010年)” (Excel). 統計局. 2016年8月3日閲覧。
- ^ a b “過去データ一覧”. 一般社団法人日本映画製作者連盟. 2016年8月2日閲覧。
- ^ “主要耐久消費財等の普及率(全世帯)(平成16年3月末現在)” (XLS). 内閣府公式サイト. 統計表一覧:消費動向調査. 内閣府 (2004年3月31日). 2022年5月3日閲覧。
- ^ 1984年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ 中川右介「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、283頁。ISBN 4-047-31905-8。
- ^ a b c d e f g 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、430頁。ISBN 978-4873767550。
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