静岡文化芸術大学
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概観
大学全体
静岡県立大学短期大学部浜松校を母体として、ものづくり企業が集積した静岡県西部地区に2000年に開学した。設置当初は公設民営方式の私立大学として学校法人により運営されていたが、2010年からは公立大学法人に移管された。なお、学校法人から公立大学法人への移管を実施した大学は、高知工科大学、名桜大学に続き3例目となる。
沿革
略歴
静岡県浜松市に立地する静岡県立大学浜松キャンパスでは、敷地の狭さとともに施設の老朽化が問題視されていた[1]。また、同大学の浜松キャンパスには短期大学部しか設置されておらず、浜松市当局から四年制大学への改組が要望されていた[1]。そのため、静岡県は、静岡県立大学浜松キャンパスを廃止するとともに、2000年に新たな四年制大学として学校法人運営による静岡文化芸術大学を設置した。
年表
- 1995年4月 高坂正堯を学長予定者に選定。
- 1996年5月 学長予定者の高坂正堯が死去。
- 1996年6月 木村尚三郎を学長予定者に選定。
- 1999年12月 学校法人静岡文化芸術大学設立。
- 2000年4月 開学。
- 2000年4月 木村尚三郎を初代学長に任命。
- 2004年4月 大学院文化政策研究科、デザイン研究科を設置。
- 2006年4月 技術造形学科をメディア造形学科に名称変更。
- 2006年10月 学長の木村尚三郎が死去。
- 2007年4月 川勝平太を第2代学長に任命。
- 2009年6月 学長の川勝平太が静岡県知事選出馬のため辞任(川勝はこの選挙で当選した)。
- 2009年6月 副学長の上野征洋を学長代行に任命。
- 2010年1月 熊倉功夫を第3代学長に任命。
- 2010年4月 学校法人静岡文化芸術大学から公立大学法人静岡文化芸術大学に移管[注 1]。
- 2015年4月 デザイン学部3学科をデザイン学科1学科に再編。
- 2016年4月 横山俊夫を第4代学長に任命。
静岡文化芸術大学学長 | ||||||
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代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 主要な経歴 | 備考 | |
1 | 木村尚三郎 | 2000年4月1日 | 2006年10月17日 | 東京大学教養学部教授 | ||
- | 上野征洋 | 2006年10月17日 | 2007年3月31日 | 静岡文化芸術大学副学長 | (学長代行) | |
2 | 川勝平太 | 2007年4月1日 | 2009年6月5日 | 国際日本文化研究センター副所長 | ||
- | 上野征洋 | 2009年6月5日 | 2009年12月31日 | 静岡文化芸術大学副学長 | (学長代行) | |
3 | 熊倉功夫 | 2010年1月1日 | 2016年3月31日 | 林原美術館館長 | ||
4 | 横山俊夫 | 2016年4月1日 | (現職) | 京都大学副学長 |
基礎データ
所在地
象徴
シンボルマークは、正方形の四辺がうねって曲線を描いたような意匠である。文化や芸術を探求する波の重なり合いを表すとされる[2]。シンボルマークの色はDICカラーガイドの222番とされており、この色は大学のシンボルカラーともなっている[2]。
注釈
- ^ 公立大学法人化の経緯については学校法人静岡文化芸術大学を参照
- ^ 元々の住所は浜松市野口町1794番地1であった。これは大学敷地を含む東街区の区画整理事業の完了に伴い、町字名の変更があったことと、浜松市の政令指定都市化に伴う行政区の設置に伴う住所表記の変更の結果による。
出典
固有名詞の分類
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