銀行 銀行の起源

銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 02:10 UTC 版)

銀行の起源

両替商

英語のバンク(bank)という語はイタリア語banco(机、ベンチ)に由来する。これはフィレンツェの銀行家たちによってルネサンスの時代に使われた言葉で、彼らは緑色の布で覆われた机の上で取引を行うのを常としていた。立脇和夫によれば、明治時代にバンク(bank)を銀行と訳したのは、英華辞典の記載に由来するとしたが[20]、通説ではない。香港上海銀行(滙豐銀行、1865年設立)などが創業当初から中国語名に銀行を使用している。は漢語で店を意味し、またではなくであるのは当時東アジアではが共通の価値として通用していたためである(銀貨を参照)[21]。日本で翻訳が確定したのは、日本銀行の説明によれば、国立銀行法(National Bank Act)におけるBankの訳出を銀行にすると定めたときであった。また、よりもの方が価値が高いことから、この時「金行」とする案もあったが、語呂が良いから「銀行」とされたといわれる[22]

金融機能の起源としては両替商が古くからあり、フェニキア人による両替商が知られていた。古くはハムラビ法典には商人の貸借についての規定が詳細に記述されており、また哲学者タレスのオリーブ搾油機の逸話などで知られるように、古代から高度な金融取引・契約はいくつも存在していたと考えられるが、一方で貨幣の取り扱いや貸借には宗教上の禁忌が存在している社会があり、例えばユダヤ教の神殿では神殿貨幣が使用され、信者は礼拝のさいにローマ皇帝の刻印がされた貨幣を神殿貨幣に両替し献納しなければならなかった。ユダヤ・キリスト・イスラム教では原則として利息を取る貸付は禁止されていたので、融資や貸借は原則として無利子(売掛買掛)であった[注釈 9]。これらの社会においては交易上の利益は認められていたので実質上の利子は中間マージンに含まれていた。両替商が貨幣の両替において金額の数%で得る利益は手数料であった。

貸付・投資機能が高度に発達したのは中世イタリア、ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェにおいてである。遠隔地交易が発達し、信用による売掛・買掛売買が発達し、有力商人が小口商人や船乗りの決済を代行することから荷為替あるいは小口融資が行われるようになった。中世イタリアのジェノバ共和国の議会は、国債の元利支払のための税収を、投資家の組成するシンジケート(Compera)に預けた。1164年には11人の投資家によって11年を期間としたシンジケートが設定されていた。このシンジケートを母体に設立されたサン・ジョルジョ銀行はヨーロッパ最古の銀行とされている。ヴェネツィア共和国の議会は1262年、既存の債務を一つの基金に整理し、債務支払いのために特定の物品税を担保に年5%の金利を支払う事を約束したが、これは出資証券の形態を取り登記簿の所有名義を書き換える事で出資証券の売買が可能なものであった。中世イタリアの都市国家ではそれぞれの都市の基金、すなわち本来の意味でのファンドが、債務支払の担保にあてられた税を管理した。

13世紀頃の北イタリアではキリスト教徒が消費者金融から一斉に撤退し始めるがその理由ははっきりしない。15世紀にはユダヤ教のユダヤ人金融が隆盛を極めた。しかし15世紀後半には次第に衰退した。ユダヤ人が貧民に高利貸付をして苦しめているとフランチェスコ会の修道士が説教したので、都市国家ペルージャは最初の公益質屋(モンテ・ディ・ピエタ monte di pietà[23])を作り低利で貸付を始めた。それまで徴利禁止論を標榜していたキリスト教会は、第5ラテラン公会議で言い逃れをした。すなわちモンテの利子は正当であり、禁じられた徴利にあたらないとしたのである[24][25]

北イタリアからバルト海にかけ、商人の経済活動が高度化してゆくなかで次第に金融に特化する商人が登場しはじめる。商業銀行と商社は業態的につながりが深いといわれている。シティ・オブ・ロンドンにはマーチャント・バンク(Merchant bank)の伝統があり、これは交易商人たちが次第に金融に特化していったものである。日本の総合商社はマーチャントバンクに大変類似しているとも言われる[26]。現在のような形態の銀行が誕生したのは、中世末期のイギリスにおいてである。

日本でも江戸時代には両替商があり、また大商人による大名貸しなど融資業や決済代行業務を請け負った。初の商業銀行は、明治維新後に誕生した第一国立銀行第一勧業銀行を経て、現在のみずほ銀行)となっている。

ゴールドスミス

イギリスの場合、1650年代には個人銀行の業務がロンドンの商人たちにすでに受け入れられており、満期為替手形の決済に関連した貨幣取り扱い業務の記録が見られるという[27]。彼らの主要な決済手段は(ゴールド)であった。貨幣経済の興隆に伴い商業取引が増大し、多額の金を抱える者が出てきた。金を手元に抱え込むリスクを懸念した金所有者は、ロンドンでも一番頑丈な金庫を持つとされた金細工商ゴールドスミスに金を預けることにした。

ゴールドスミスは金を預かる際に、預り証を金所有者に渡した(「金匠手形」)。これは正貨の預金証書であったから、紙幣でありながら交換価値を持つことが出来た。そこで所有者はキリのいい単位で金を預け、その預り証をそのまま取引に用いる(債権譲渡する)ことがあった。これは決済業務の起こりとなった。

しばらくして、ゴールドスミスは自分に預けられている金が常に一定量を下回らないことに気付いた。先のように預かり証が決済に用いられるだけ一定量が引き出されずに滞留したのである。ゴールドスミスは、この滞留資金を貸し出しても預金支払い不能にならない(破たんしない)と考えて運用するようになった。

こうして貸し出した金は再び預けられたり、預けさせられたりした。ここで派生的預金を生じた。このうち滞留の見込まれる割合が再び貸し出しに回された。そして派生的預金の再貸し出しはくりかえされた。このようにして発行され続けた預り証の総額は、金庫に保管された正貨の総額と比べて桁違いに多くなった。これは信用創造であった。通貨供給量を増加させて貨幣経済の成長を促した。信用創造は現代の金融機関が行っても景気を刺激する。ただし、現代の派生的預金が預金口座のデータであるのに対し、当時の派生的預金は紙幣であった。

やがてイギリス全土に同業者が現れ、とくにドイツやオランダから商人たちが流入し決済業務を開始することがイギリスのマーチャントバンクすなわち商業銀行の母体となった。当初はそれぞれが国王から独自に特許を取り預り証を発行していた。市場には多種多様な紙幣が流通していた。フランス革命前後および19世紀初頭にかけて、紙幣の多様性は金融システムをしばしば混乱させた。また、金融業者が結託して敵対する金融機関の預り証(銀行券)を蒐集し、これを一度に持ち込み正貨の払い戻しを要求して破たんさせるという手口がよく行われた。そこで1844年ピール条例(当時の日本における呼称は英蘭銀行条例)により、イングランド銀行(イギリスの中央銀行英蘭銀行)以外での銀行券の発行が禁止された。中央銀行以外は商売替えを迫られて、預り証を金融仲介する貯蓄銀行あるいは商業銀行として発展した。ピール条例の改正については日本の官報にも報じられた[28]

中央銀行に管理され、今や現金となった預り証の交換価値を保証しているのは、資産を預かる側の払い戻し能力であり、つまり中央銀行の保有する正貨や有価証券である。このような現金通貨は、時に政府による紙幣濫発や中央銀行による国債大量引き受けなどが原因して著しく交換価値を失った(インフレーション)。一方の貯蓄銀行と商業銀行では、現金通貨量に対して預金通貨量の上回る金額が信用創造で増すにつれて、銀行は預金引き出しに備えるようになった。これは時として信用収縮へ発展した。信用収縮のときに経済活動は低調となり、金融危機へつながることもあった。さらに19世紀から20世紀初めまでは、金融危機に端を発する恐慌が頻発した(1927年の日本における昭和金融恐慌など)。第二次大戦以降はケインズ政策の採用などもあり、先進資本主義国は恐慌を克服したとされていたが、近年のリーマン・ショックを端緒とする世界金融危機などが恐慌と表現されることもある。


注釈

  1. ^ なお、日本国内では資金決済法が施行され、登録制の資金移動業者電子マネーなどを媒体に決済事業を展開している。
  2. ^ 実際のところ、バーゼル規制は銀行の機関化に作用した。
  3. ^ またそれゆえに、政府当局としても、預金通貨の安定を経済政策の根幹においている。
  4. ^ しかし、より直接に経営責任を問う制度は十分に整備されていない。
  5. ^ 1907年恐慌でジョン・モルガンの放った台詞が参考になる。歴史理解は投資の成功に欠かせない[5]
  6. ^ かつてグラス・スティーガル法は、銀行業務と証券業務の間で分離を維持する中国のような米国圏外の金融システムに影響した[7][8](金融商品取引法65条のモデルにもなった[9])。2008年からの金融危機の余波において、中国での投資銀行と商業銀行の分離を維持することに対する支持は、依然として根強い[10]
  7. ^ ヨーロッパ諸国などでは銀行による証券業務が許容されている(ユニバーサル・バンキング)。たとえばドイツの場合、実質的には証券会社がない。この点、ドイツ銀行が世界級のマーチャント・バンクとして機能している。
  8. ^ 当時の大蔵省による見解。
  9. ^ ユダヤでは同宗以外への利付貸付は容認されていた

出典

  1. ^ a b c 酒井良清 鹿野嘉昭 『金融システム』 有斐閣 2011年 銀行の機能
  2. ^ 金融庁 II -3-7-5 風評に関する危機管理体制 中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針 平成26年4月
  3. ^ 金融庁 III -8-5 風評に関する危機管理体制 主要行等向けの総合的な監督指針 平成26年4月
  4. ^ 「ベアー買収の動揺、欧州に波及 破綻の危機にある金融機関はいくつあるのか」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年3月27日付配信
  5. ^ CFA Institute Magazine, "Should Financial History Matter to Investors?", Sept/Oct 2015, p. 17.
    CFA(Chartered Financial Analyst)資格者の主要な就職先は、UBSJPモルガンシティグループモルガンスタンレーブラックロックである。ECF, "The biggest employers of CFA charterholders globally", 10 November 2014
  6. ^ “China to stick with US bonds”, The Financial Times (paragraph 9), https://www.ft.com/content/ba857be6-f88f-11dd-aae8-000077b07658 2009年2月11日閲覧。 
  7. ^ (PDF) Developing Institutional Investors in the People's Republic of China, paragraph 24, http://www.worldbank.org.cn/english/content/insinvnote.pdf 
  8. ^ Langlois, John D. (2001), “The WTO and China's Financial System”, China Quarterly 167: 610–629, doi:10.1017/S0009443901000341 
  9. ^ a b c d 黒田巌編 『わが国の金融制度』 日本銀行金融研究所 1997年 P 19
  10. ^ “China to stick with US bonds”, The Financial Times (paragraph 9), https://www.ft.com/content/ba857be6-f88f-11dd-aae8-000077b07658 2009年2月11日閲覧。 
  11. ^ 黒田昌裕、玉置紀夫 『実学日本の銀行』 慶應義塾大学出版会 1996年 83頁
  12. ^ 国立国会図書館調査および立法考査局 【フランス】 銀行業務の分離による銀行制度改革 2013年11月
  13. ^ キャノングローバル戦略研究所 現在の経済危機について(8):最近の世界経済上の4事件とその影響 2012/8/13
  14. ^ 毎日新聞電子版 「公取委ドイツ銀行など独禁法違反認定 国際機関債売買で」 2018年3月29日
  15. ^ John G. Roberts, Mitsui: Three Centuries of Japanese Buisiness, Weatherhill, New York/Tokyo, 1973. pp.394-426. 安藤良雄 三井禮子監訳 ダイヤモンド社 1976年 pp.303-330.
  16. ^ 草野厚 『山一證券破綻と危機管理』 朝日新聞社 1998年7月 30頁
  17. ^ ニューヨーク・タイムズ 1975年12月13日
  18. ^ 黒田昌裕、玉置紀夫 『実学日本の銀行』 慶應義塾大学出版会 1996年 107頁
  19. ^ 大蔵省/金融システム改革法案について
  20. ^ 立脇和夫、「BANKの訳語と国立銀行条例について」『経済学部研究年報』 1985年 1巻 p.1-20, hdl:10069/26110, 長崎大学経済学部
  21. ^ 山口佳紀 編『暮らしのことば新語源辞典』講談社、2008年、293頁。 
  22. ^ 日本銀行ホームページ/教えて!にちぎん銀行はなぜ「銀行」というのですか?
  23. ^ 今も経営されているen:Nacional Monte de Piedad は、メキシコシティ包囲戦レオナルド・マルケスに金を押収されている。
  24. ^ 「中世イタリアのユダヤ人金融」大黒俊二(大阪市立大学大学院文学研究科 2004.3.9)[1]モロッコのダーウード図書館との協定を締結、共同事業を立ち上げる 東京外国語大学:「史資料ハブ地域文化研究拠点」
  25. ^ 大黒俊二 「欲嘘と貪欲 : 西欧中世の商業・商人観」 博士論文 14401乙第08902号, 2004年、大阪大学、 NAID 500000272119、P.105以降に詳しい。
  26. ^ 山本利久「マーチャント・バンク」(PDF)『新潟産業大学経済学部紀要』第29号、新潟産業大学東アジア経済文化研究所、2005年6月、89-110頁、ISSN 13411551NAID 40007090299 
  27. ^ 北野友士「銀行業の発展と銀行自己資本の意義 : イギリスを事例として」『経営研究』第58巻第3号、大阪市立大学経営学会、2007年11月、55-73頁、ISSN 0451-5986NAID 110006535007 
  28. ^ 官報 1890, p. 312.
  29. ^ 朝日新聞 大手機関投資家が16金融機関を提訴、外為指標の不正操作巡り 2018年11月8日
  30. ^ Reuters, Big investors sue 16 banks in U.S. over currency market rigging, November 8, 2018
  31. ^ European Union Anti-Corruption, EU banks guilty of huge tax fraud, October 22, 2018
  32. ^ Fair Finance Guide International | Fair Finance Guide International
  33. ^ Home | Fair Finance Guide Japan






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