角川春樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 13:50 UTC 版)
家族
父は角川書店創業者・角川源義。母は源義の最初の妻・冨美子。姉の作家・辺見じゅん、元KADOKAWA会長の角川歴彦が同腹の姉弟。その他、父の後妻である俳人・角川照子を母に持つ異母妹・真理がいて、春樹は可愛がっていたが、18歳で自殺した。春樹自身、6人の女性との間に6度の結婚歴があり、5番目の妻は、現・ライターの柘いつか、6番目の妻は歌手のASUKAである[31][32][33]。最初の3人の妻と6番目の妻との間にはそれぞれ子どもが1人ずついる。2人目の妻との間の長女は元アイドルの現ライターの角川慶子で娘がいる[34]3番目の妻の清子との間には泰章がいる[35]ので6番目の妻との間に生まれた息子は三男になる[36]。
結婚離婚歴
上記のように角川春樹は、6度の結婚と5度の離婚を繰り返している。最初の結婚は1965年、角川書店に入社した23歳の時で、相手は同棲していた國學院大學の同級生だった。翌年の24歳の頃までは、角川春樹は「付き合って男女の関係になったら必ず結婚しなければならない」という硬派な考えの持ち主だったが、詩人だった宗左近の知人で占い師の女性から「角川さんは頭が良すぎる。だから色々先を見過ぎてしまう。もっと遊ばなければ大きくなれない」言われ、その後の角川春樹は、本人曰く「軟派の修行」と称するほど、女性遍歴を重ねるようになった。1973年、2番目の妻となる女性が妊娠して最初の妻と離婚した。その2か月後に3番目の妻となる女性・清子が妊娠したため、2番目の妻と離婚した。1975年、角川春樹が33歳の時に父親の角川源義が死去し、「日常性を拒否し、非情の世界に身を沈めたい」として3番目の妻・清子と次男・泰章を残して別居、その後離婚し、4番目の妻と結婚した。1998年、58歳の時に4度目の離婚を経験し、1億円以上の慰謝料と邸宅を含めた一切の財産を4番目の元妻に譲渡した。2003年頃に5番目の妻・柘いつかと結婚するが、2011年頃に離婚し、同年の69歳の時に40歳年下の歌手・ASUKAと結婚、翌年の70歳の時には3男が誕生している[37]。
エピソード
- 広島県尾道市を舞台にした映画をプロデュースした縁もあり、角川春樹は尾道を第二の故郷と話しており[38]、2006年に尾道市立大学の芸術文化学部日本文学科(文芸創作)の客員教授を務め[31][38]、このときの聴講生だったASUKAと2009年に結婚している[31][32]。
- 1975年ごろ、見城徹によると安井かずみと交際していた[39]。
- 読売ジャイアンツのファンである。
- 愛煙家である。
- 映画「天と地と」の撮影現場では、角川春樹は上杉謙信・役の榎木孝明に「お前の演技は学芸会レベルだ。俳優やめちまえ」「生きていてもしょうがねえだろ?人間やめろ!」と何度も激しく罵倒したという[40]。それで、榎木は何度も妄想の中で角川春樹を殺したという。その後、角川春樹は「天河伝説殺人事件 (映画)」の浅見光彦・役に榎木孝明を起用した[41]。
- ^ a b “この国はどこへ コロナの時代に 映画監督・角川春樹さん 神と共存復活感じ 不寛容は人を排他的に”. 毎日新聞 (2020年10月6日). 2021年6月3日閲覧。
- ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』(毎日新聞出版)P.42
- ^ a b 伊藤彰彦『最後の角川春樹』(毎日新聞出版)P.43
- ^ “清水 節のメディア・シンクタンク【番外篇】”. 文化通信社. 2018年2月2日閲覧。
- ^ a b 「岡田茂をめぐる七人の証言 角川春樹『最後の頼みの綱という心強い存在』」『キネマ旬報』2011年(平成23年)7月上旬号 63-64、キネマ旬報社、2011年。
- ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、109、142、249-250頁頁。ISBN 978-4-636-88519-4。岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、182-183頁。ISBN 4-87932-016-1。“角川春樹氏、思い出語る「ひとつの時代終わった」…岡田茂氏死去(archive)”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年5月10日) 2015年11月2日閲覧。
- ^ 「イベントやに徹して難局に対処する岡田茂東映社長、81年の方針を語る」『映画時報』1981年1月号、映画時報社、19頁。
- ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、140、144頁。
- ^ a b 磯田勉「タイクーンの夢――角川映画80's」『映画秘宝EX 爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、p.15
- ^ a b モルモット吉田「角川春樹」『映画秘宝EX 爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、p.21
- ^ 大高宏雄『興行価値』鹿砦社、1996年、pp.24-25,64
- ^ 金田信一郎『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡』日経BP社、2006年、p.119
- ^ 「角川事務所芸能部門撤退」『週刊サンケイ』1986年12月4日号
- ^ 「原田姉妹、渡辺が独立」『週刊明星』1986年12月4日号
- ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、208頁。
- ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、225-26頁。
- ^ 『角川映画 1976‐1986(増補版)』(中川右介著、角川文庫、2016年)321~322ページ
- ^ 『角川映画 1976‐1986(増補版)』(中川右介著、角川文庫、2016年)322ページ
- ^ 山田玲司 『絶望に効くクスリ (9)』 小学館、2007年、23頁
- ^ “角川春樹氏12年ぶり監督作「笑う警官」…「原作超え」への挑戦”. スポーツ報知. 2009年11月10日閲覧。
- ^ a b “77歳角川春樹氏 10年ぶりメガホン「生涯最後の監督作になる」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年8月6日) 2019年8月6日閲覧。
- ^ 「松田優作 キネ旬全記録』p.31、キネマ旬報社
- ^ 「松田優作 キネ旬全記録』p.32、キネマ旬報社
- ^ a b 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P186
- ^ a b 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P187
- ^ a b c d 坪内稔典 「角川春樹」『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年、30頁
- ^ a b 小野裕三 「角川春樹」 金子兜太編『現代の俳人101』 新書館、2004年、174頁
- ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P188
- ^ 小島健 「角川春樹」『現代俳句大事典』 三省堂、150-151頁
- ^ 魂の一行詩とは
- ^ a b c “【話の肖像画】「生涯不良」続行中(3)映画プロデューサー・角川春樹さん”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2008年5月28日). オリジナルの2008年5月30日時点におけるアーカイブ。 2017年1月9日閲覧。
- ^ a b “角川春樹氏40歳下の歌手と熱愛、結婚も”. nikkansports. (2009年11月18日)
- ^ 角川慶子 (2011年9月27日). “角川春樹が6度目の結婚、直後姉である作家の辺見じゅんが急死”. 探偵ファイル. フィーノ. 2020年4月30日閲覧。
- ^ https://www.cyzowoman.com/column/806/
- ^ https://ameblo.jp/kiyoko-kadokawa/entry-12424293002.html
- ^ https://news.yahoo.co.jp/feature/1825/
- ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年、44-45、47-48、64、67、90-92、251、282-283頁。
- ^ a b 尾道のいいね著名人 | 一般社団法人尾道青年会議所
- ^ 『見城徹が角川春樹と北方謙三とトーク』(アベマ ビデオ)AbemaTV、日本〈徹の部屋〉、2017年2月19日、該当時間: 20m 。2019年9月21日閲覧。
- ^ “榎木孝明、角川春樹から「人間やめろ!」と罵倒された日々…最終的に認められ、与えられた“ご褒美””. テレ朝POST. 2023年5月23日閲覧。
- ^ “角川春樹氏、映画「天と地と」でNGを出し続けた榎木孝明と因縁の再会「空っぽになって欲しかった」”. スポーツ報知 (2018年8月31日). 2023年5月23日閲覧。
- ^ 『博士も知らないニッポンのウラ』(2008年6月1日)
- ^ コラム | Rooftop第六回ゲスト:角川春樹(前編)(2012年4月15日時点のアーカイブ)
- ^ 角川春樹、清水節「いつかギラギラする日」角川春樹事務所 P18-19
固有名詞の分類
- 角川春樹のページへのリンク