角川春樹事務所から独立
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「薬師丸ひろ子」の記事における「角川春樹事務所から独立」の解説
主演映画のヒットは続いていたが、内心ではずっと女優を辞めたいと思ってた。角川社長の「いつ辞めてもいい。でも、もったいないぞ」の言葉にその都度なだめられ、7年間、その気持ちを抑えていたが、二十歳の時、ユーミンの苗場のコンサートに遊びに行ったことを契機に、所属事務所を辞める決心をする。直接、社長に掛け合うと「分かった。でも、もったいないぞ。やりたくなったら、またいつでも始めろよ」と許可され、1985年3月、角川春樹事務所から独立する。引退の報道をうけ、大勢の取材陣が家に直接殺到することに困り、同月、個人事務所オフィス・メルを設立した。 『セーラー服と機関銃』の原作者である赤川次郎は、『翔んだカップル』・『セーラー服と機関銃』を監督した相米慎二と『Wの悲劇』を監督した澤井信一郎の2人が薬師丸の魅力を引き出したと評価している。 1980年代は角川映画とフジテレビが邦画を興行面で牽引し、その角川映画ブームの中心的存在が薬師丸だったと相良智弘は解説している。角川時代の出演映画の配給収入の詳細は角川映画#配給収入を参照。
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