西京区 地理

西京区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 05:37 UTC 版)

地理

嵐山桂川

主な山として、ポンポン山、松尾山、小塩山大枝山がある。

主な河川として桂川小畑川がある。

区を構成する町については京都市西京区の町名参照。

人口

西京区に相当する地域の人口の推移
1970年(昭和45年) 71,947人
1975年(昭和50年) 88,828人
1980年(昭和55年) 109,325人
1985年(昭和60年) 130,683人
1990年(平成2年) 142,677人
1995年(平成7年) 151,118人
2000年(平成12年) 155,928人
2005年(平成17年) 154,756人
2010年(平成22年) 152,974人
2015年(平成27年) 150,962人
2020年(令和2年) 149,837人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体・行政区

京都府
大阪府

歴史

古代

古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である秦氏が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の広隆寺で、祭祀が行われたのが松尾大社であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。秦氏は5世紀ごろに桂川の治水工事を行っていたとの説があるが、西京区の桂川沿岸では洪水がたびたび起こったという。

この時代の行政区画としては桂村・川岡村・松尾村は葛野郡、大原野村・大枝村は乙訓郡と分かれて存在していた。

中世
近世

京都に政権中枢があった室町時代には、将軍足利義満の時代に、将軍直属の軍勢として西ヶ岡土豪衆を中心に「奉公衆」が結成された。彼らは明徳の乱応仁の乱など市街地が舞台となった合戦で活躍し、応仁の乱では細川勝元の指示で大内政弘を攻撃するなど、室町政界に参与した。

江戸時代には山陰街道が、現在の西京区域を横断するように敷かれ、沿道の桂、樫原、大枝は宿場町として栄えた。また山陰街道脇に八条宮(桂宮)初代の八条宮智仁親王が桂別業を造営した(後の桂離宮)。また、桂は保津川水運の発着所ともなった。

近現代
  • 1931年昭和6年)4月1日葛野郡の桂村、川岡村、松尾村が京都市に編入し、他の村と一緒に右京区が誕生。
  • 1950年(昭和25年)12月1日 乙訓郡の大枝村が右京区に編入。
  • 1959年(昭和34年)11月1日 乙訓郡の大原野村が右京区に編入。
  • 1976年(昭和51年)10月1日 松尾、桂、川岡、大枝、大原野地区が右京区から分区し、西京区が誕生。当初は北区、南区同様、西区の予定であった。

行政

  • 西京区役所
〒615-8522
京都府京都市西京区上桂森下町25番地の1
  • 洛西支所
〒610-1143
京都府京都市西京区大原野東境谷町二丁目1番地の2

  1. ^ 当地域の行政区画名は、正しくは、にしきょうである。


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