西京区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 05:37 UTC 版)
地理
区を構成する町については京都市西京区の町名参照。
人口
西京区に相当する地域の人口の推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体・行政区
歴史
- 古代
古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である秦氏が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の広隆寺で、祭祀が行われたのが松尾大社であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。秦氏は5世紀ごろに桂川の治水工事を行っていたとの説があるが、西京区の桂川沿岸では洪水がたびたび起こったという。
この時代の行政区画としては桂村・川岡村・松尾村は葛野郡、大原野村・大枝村は乙訓郡と分かれて存在していた。
- 中世
- 平安時代には桂女という女性の商人が洛中に行商を行った。
- 丹波との国境の大枝には酒呑童子の鬼が居たと言われ、源頼光によって討伐されたという伝説がある。このほか当区内の由緒ある寺社と言えば藤原氏の祀社・春日神社(大原野神社)、善峰寺、樫原廃寺跡、西芳寺などがある。
- 近世
京都に政権中枢があった室町時代には、将軍足利義満の時代に、将軍直属の軍勢として西ヶ岡土豪衆を中心に「奉公衆」が結成された。彼らは明徳の乱や応仁の乱など市街地が舞台となった合戦で活躍し、応仁の乱では細川勝元の指示で大内政弘を攻撃するなど、室町政界に参与した。
江戸時代には山陰街道が、現在の西京区域を横断するように敷かれ、沿道の桂、樫原、大枝は宿場町として栄えた。また山陰街道脇に八条宮(桂宮)初代の八条宮智仁親王が桂別業を造営した(後の桂離宮)。また、桂は保津川水運の発着所ともなった。
- 近現代
- 1931年(昭和6年)4月1日葛野郡の桂村、川岡村、松尾村が京都市に編入し、他の村と一緒に右京区が誕生。
- 1950年(昭和25年)12月1日 乙訓郡の大枝村が右京区に編入。
- 1959年(昭和34年)11月1日 乙訓郡の大原野村が右京区に編入。
- 1976年(昭和51年)10月1日 松尾、桂、川岡、大枝、大原野地区が右京区から分区し、西京区が誕生。当初は北区、南区同様、西区の予定であった。
行政
- 西京区役所
- 〒615-8522
- 京都府京都市西京区上桂森下町25番地の1
- 洛西支所
- 〒610-1143
- 京都府京都市西京区大原野東境谷町二丁目1番地の2
- ^ 当地域の行政区画名は、正しくは、にしきょうである。
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