水間鉄道水間線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 07:41 UTC 版)
水間線 | |||
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基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 大阪府貝塚市 | ||
起点 | 貝塚駅 | ||
終点 | 水間観音駅 | ||
駅数 | 10駅[1] | ||
開業 | 1925年12月24日 | ||
最終延伸 | 1926年1月30日 | ||
所有者 | 水間鉄道 | ||
運営者 | 水間鉄道 | ||
車両基地 | 水間車庫 | ||
使用車両 | 1000形 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 5.5 km[1] | ||
軌間 | 1,067 mm (狭軌) | ||
線路数 | 単線[1] | ||
電化方式 |
直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
閉塞方式 | 自動閉塞式 | ||
最高速度 | 60 km/h[2] | ||
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概要
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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水間寺(通称「水間観音」)への参詣鉄道として建設された[1]。貝塚駅は、大阪市などに通じる南海本線との乗換駅になっている[3]ほか、水間線の沿線開発も進み、貝塚市内陸部にとって通勤・通学路線となっている。
終点の水間観音駅の駅舎は国の登録有形文化財[1](1998年登録)で、1926年の全通時から使われている。
2007年にはPiTaPa導入を視野にスルッとKANSAI協議会に加盟した。そのPiTaPa導入は2009年6月1日のダイヤ改正から行われた[4]。水間線は2013年3月23日から開始された交通系ICカード全国相互利用の対象になっている。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):5.5 km[1]
- 軌間:1067 mm
- 駅数:10駅(起終点駅含む)[1]
- 複線区間:なし(全線単線[1])
- 電化区間:全線電化(直流1500 V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:60 km/h[2]
運行形態
貝塚駅 - 水間観音駅間で1時間あたり基本的に2本(30分間隔)、朝と平日夕方は3本(20分間隔)運転されている。途中駅で折り返す列車はない。所要時間は約15分[1]。列車交換は途中駅で唯一の交換可能駅である名越駅で行われる。
2009年6月1日より、PiTaPa導入と同時に朝夕ラッシュ時を含む全列車がワンマン運転となった[4]。かつて朝夕のラッシュ時以外の時間帯の列車だけをワンマン化したこともあったが、その際、主な利用客である高齢者層がワンマン運転のシステムになじめなかったため、PiTaPaが導入されるまで早朝深夜以外の時間帯は再び車掌を乗務させていた。
2020年11月30日のダイヤ改正までは1時間あたり基本的に3本運転されていた。
臨時列車
終点の水間観音駅が水間寺の最寄り駅であることから、大晦日から正月にかけて臨時列車の増発や特別ダイヤでの運行が行われる。
また、大規模なイベントの開催時にも臨時列車の運行および通常列車の時刻変更が行われ、貝塚駅 - 水間観音駅ノンストップの「特急」が運行されることもある。「特急」へは運賃のみで乗車できる場合と、乗車にグッズ等の購入が必要な場合がある[5]。
大晦日終夜・延長運転
例年延長運転(2019年度までは終夜運転)を行っている。2022年度(2023年正月)の場合、大晦日から元日午前2時半頃にかけて、1時間間隔で計3.5往復運行された[6]。2020年度も終夜運転を行う予定であったが、国土交通省からの要望により中止された。
正月特別ダイヤ
正月三が日(1月1日 - 3日)は特別ダイヤでの運行となる。土休日ダイヤを基本に、7・8時台を毎時3本から2本に減便、10-15時台を毎時2本から3本に増便している[6]。2022年のみ、1月4日 - 15日にも3往復の増発を行った[7]。
2020年までは、通常のダイヤ(当時は終日1時間に約3本運転)で運行していた。また2021年は通常の土休日ダイヤで運行された。
車両
車両は南海電気鉄道の中古車両を使用していたが、1990年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、全車両を元東急7000系電車の7000系に置き換えた。2006年から7000系は順次、更新改造され1000形に改番された。1000形は2両編成4本の計8両を所有している。
旧在籍車
- モハ1形(1・2):開業に先立って1925年6月に購入した車両。購入前は南海鉄道2代22・2代23号で、もとは高野登山鉄道11・12号。15m級で荷物室を備えており、定員74名。2は1946年に水間車庫の火災により焼失。1は1948年に車体を新造し2代目1となった。
- モハ3形(3・4): 1927年1月汽車会社東京工場で新製された木製ボギー車。11m級で定員74人。第二次世界大戦後に4は踏切事故を起こして5に改番されたが、1948年の水間車庫火災により焼失し、その台枠を利用してモハ55形(初代55)を製作する。3は1962年4月に廃車されたのち本社前で会議室として使用されていたが、1977年の本社移転時に解体された。
- モハ15形(15・16):1929年7月に加藤車両で新製された半鋼製2軸単車。9m級で定員50人。1939年に旅館「一龍」の建設資金に充てるため日満工業に売却された。
- モハ105形(105・106):1939年12月木南車両で新製された半鋼製ボギー車。11m級で定員70人。105は1946年の水間車庫火災により焼失し、1950年頃まで車体が保管されていたが結局解体された。106は1952年荒尾市営電気鉄道に売却され、同101号となった。
- 2代目モハ1形(2代目1):1949年4月、旧2の台枠と初代1の機器を利用して広瀬車両で新製された半鋼製車両。車体は元と同じく15m級だが、定員90名。1969年10月廃車。
- モハ55形(初代55):1949年4月、5の台枠と電動機・制御器を利用して広瀬車両で新製された半鋼製車両。車体長の級・定員ともに旧5と同一。輸送力増強のため1952年末に尾道鉄道のデキニ25と入れ替わり、尾道鉄道25号となる。
- モハ111形(111):1949年、廃車予定だった南海加太線101号の車体を購入したうえで機器を補い電動車とした。15m級で定員90人。1956年5月に廃車、機器・台車は11号に使用され、車体は二色幼稚園に移送された。
- モハ55形(2代目55):1953年にモハ55形(初代55)と交換する形で尾道鉄道のデキニ25が入線。もとは宇部鉄道のデハニ101形(101)半鋼製ボギー車(1930年日本車輌製) である。荷物室は存置されていた。15m級で定員90人。1970年10月廃車。
- モハ55形(56):1953年に尾道鉄道のデハニ301が入線。2代目55と異なり荷物室は撤去された。もとは宇部鉄道デハニ301形(301)半鋼製ボギー車(1931年日本車輌製)である。15m級で定員100人。1969年廃車。
- モハ11形(11):1956年5月、111の車体を、元阪神急行電鉄67号の車体で置き換えた木造車。1967年1月廃車。
- モハ250形(251・252):1958年及び1962年ナニワ工機で新製された全鋼製ボギー車。15m級で定員110人。1972年廃車、モハ252のみ水間車庫で保管されたが現在は存在しない。
- モハ360形(361)・クハ380形(381):1966年南海から借入れて、のちに譲り受けたモハ1037・クハ1825。水鉄初の17m級車であり、またクハ381は水鉄初の制御車であった。1971年10月廃車。
- モハ360形(362)・クハ380形(363):1966年に鉄道線を廃止した淡路交通から譲り受けたモハ1010・1011。1971年12月廃車。
- モハ360形(364・365):1968年10月に南海から借入れて、同年12月譲り受けたモハ561形(2代目562・569)。もとは高野山電気鉄道デ102・デニ501(1928年日本車輌製)。1972年11月廃車。
- モハ1251形(1258・1275)・サハ1891形(1892):もと南海1251形で1970年12月に譲り受けた。15m級で定員100人。水鉄初の3両編成を組成した。1201形導入に伴い1972年廃車。
- モハ501形・クハ551形・サハ581形:もと南海1201形で、1971年から1972年かけて12両(電動車10両、付随車2両)を譲り受け、既存の車両を全て置き換えた。18m級の大型車両で、1974年に塗装を変更するとともに車番を500番台に変更、1984年には電動車3台を制御車・片運転室化し、塗装を再変更した。7000系導入に伴い1990年8月1日を最後に運用を終了し廃車、野上電気鉄道へ5両が再譲渡されたものの重量超過のため入籍せず解体された。現在はクハ553が水間検車区構内に留置されている。
- ワブ1形(1):開業時に南海から譲り受けた木造有蓋車。もとは1899年12月製造の南海ワ56である。
- フト1形(1・2):開業時に南海から譲り受けた無蓋車。もとは1906年9月製造の南海ワ56である。フト2は1948年の水間車庫火災により焼失、フト1は1972年の貨物営業廃止後に解体された。
- ^ a b c d e f g h i j k l 【転換力】水間鉄道(大阪府貝塚市)マツケン動画で全国"発進" 斬新企画次々、ファン拡大へ『読売新聞』朝刊2022年6月2日(地域面)
- ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』(ネコ・パブリッシング)
- ^ 貝塚駅 駅と周辺情報 ほか南海電鉄(2022年6月4日閲覧)
- ^ a b 『いよいよ水間鉄道にPiTaPaが導入されます』(プレスリリース)水間鉄道、2009年5月14日。 オリジナルの2021年1月24日時点におけるアーカイブ 。
- ^ “「近畿ローカル鉄道まつり2022in貝塚」”. 水間鉄道株式会社. 2022年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月1日閲覧。
- ^ a b “水間観音 初詣対応 年末年始の運行(電車)について”. 水間鉄道株式会社. 2022年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月1日閲覧。
- ^ “水間観音 初詣対応 年末年始の運行(電車)について”. 水間鉄道. 2021年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。
- ^ 水間鉄道50年の歩み. 水間鉄道株式会社. (1973年4月17日)
- ^ a b 新生水鉄のあゆみ. 水間鉄道株式会社. (1993年4月17日)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年8月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年1月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年2月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1934年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “水間鉄道助役らを書類送検、踏切事故で安全対策怠った疑い 大阪府警”. 産経新聞. (2015年12月17日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。 2023年4月4日閲覧。
- ^ 『令和2年11月30日ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)水間鉄道、2020年11月3日 。2020年11月3日閲覧。
- ^ 「私設鉄道認可九線却下九線」『大阪時事新報』、1927年9月23日。2018年3月15日閲覧。
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』第1147号、大蔵省印刷局、1930年10月24日、NDLJP:2957614。
- ^ 草町義和「幻の鉄路をたどる(6) 水間鉄道粉河延長線(紀泉鉄道)」『鉄道ジャーナル』2015年4月号124~131頁
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