民族自決 歴史的沿革

民族自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 07:38 UTC 版)

歴史的沿革

20世紀以前の民族自決と歴史的事例

第一次世界大戦・第二次世界大戦期の民族自決とその歴史的事例

1917年、ロシア革命中にウラジーミル・レーニン率いるソビエト政権による布告「平和に関する布告」は、「無賠償・無併合・民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の全交戦国に提案した[3]。この民族自決は、ヨーロッパ・非ヨーロッパの区別なく、政権・多民族国家などによる、植民地を含めた他領土・他民族の強制的「併合」を否定し、個々の民族の自決を全面的に支持した内容であった。アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンはこの布告を「世界に貴重な原則を示した」と評価した。しかしフランスやイギリスなどの同盟諸国はこの布告を無視した。1918年、ブレスト=リトフスク条約で、ロシアは第一次世界大戦から正式に離脱し、さらにフィンランドエストニアラトビアリトアニアポーランドウクライナ及び、トルコとの国境付近のアルダハンカルスバトゥミに対するすべての権利を放棄した。

ウッドロウ・ウィルソンが1918年に発表した「十四か条の平和原則」の第5条で制限的な民族自決に言及し、それが翌年のヴェルサイユ条約での原則となった。これにより、オーストリア=ハンガリー帝国などが分国し、アイルランドフィンランドバルト三国ポーランドチェコスロバキア、セルビア人=クロアチア人=スロベニア人王国(後のユーゴスラビア王国)が、アジアやアフリカでは、モンゴルアフガニスタンイラクイエメンエジプトが独立を果たした。しかしイギリスやアメリカ合衆国は海外に植民地を有しており、民族自決はあくまでヨーロッパ内部にのみ適用されたルールであったため、非西欧諸国で生じた独立運動に対し政府は弾圧の姿勢を取り続けた(インドにおける民族自決運動に対するイギリス政府の対応)。しかも、民族自決の理念の基独立を果たした東欧諸国も様々な民族が混在する中で連合国の都合で国境が画定されたためにその後も民族間での不満が燻り続けた。また、これを逆手に取り周辺地域に住むドイツ系住民の保護や民族自決の適用を理由にナチス・ドイツがこれらの地域を併合し、第二次世界大戦を引き起こすに至った。

インドにおける民族運動の展開

塩の行進:イギリス政府による塩への課税を植民地支配の象徴と捉え、法を犯して塩づくりを行うことで植民地支配に対抗した。

第一次世界大戦中、イギリスは民族自決という国際世論の圧力に押され、インドに自治を独立したものの、大戦後の1919年インド統治法は自治とは程遠い内容であり、同年に制定されたローラット法に基づき、イギリスは抗議運動をしていた民衆に発砲するといった強圧な態度を取った。これに対しガンディーは、非暴力を掲げた民族運動を実施したものの、農民による警官殺害事件を機に生じた民族運動方針の対立により頓挫した。その後インド統治法を制定するための憲政改革調査委員会にインド人が含まれていなかったことに不満を抱いた現地民を中心として民族運動が激化し、1929年にはネルーらの急進派が完全独立を訴える中、1937年には州選挙が実施された。第二次世界大戦が始まり、完全独立のための民族運動は、イギリス政府により弾圧され、ガンディーなどは投獄された[4][5]

東アジアにおける民族運動

東南アジアにおける民族運動

冷戦期の民族自決とその歴史的事例

近世初頭(16世紀から17世紀)において、植民地諸国はあくまで宗主国の対象として見られていたが、19世紀には宗主国の超過利潤追求のための支配の客体として位置づけられるようになった[6]。しかし第二次世界大戦を通じ植民地施政国は経済的に疲弊し、植民地諸国に権力の空洞が生じた。アメリカは植民地における民族自決に好意的な態度をとり、冷戦の中で共産主義陣営に第三世界の国々がつくことの懸念などが原因となって、「植民地独立付与宣言」などを経て植民地体制が国際社会で非難される中で植民地を手放さざるを得なくなった。こうして植民地体制は結果として崩壊した[7][8]

帝国主義の下で西欧列強の植民地となっていた国々では、民族自決原則に立脚した独立・建国運動が多くの非西欧地域で展開されていた[9]。その運動は植民地体制の崩壊という現実の中で実現し、結果として元植民地諸国が国際社会に参画し「国際社会の構造変化」が起こった[10]。それらの国々が国際連合総会において決議採択を集団で働きかけることで実行が積み重なっていき、「友好関係原則宣言」採択過程のアメリカの発言に見られるように「「世界史の現段階では自決権は政治的要請ではなく、現代国際法の確立した原則」となったのである[11]

民族自決原則を根拠に独立を達成した発展途上国は、「経済的自立がなければ真の独立はあり得ない」として自決権の経済的側面(経済的自決権)を強調した[12]。またアパルトヘイト問題など人種差別にに対する自決権(政治的自決権)の適用も主張された。さらに1970年ごろから経済発展のための様々な観点での国際協力を目的とした新たな人権論として「第三世代の人権」も提唱され始める[10]

国際連合の役割

ソ連と民族自決権

アフリカ諸国の独立

冷戦後の民族自決権

1990年以降ほとんどすべての植民地が解消した。冷戦によるアメリカ・ソ連のパワーが弱まる中で、多民族国家では主権国家からの独立の動きもいくつか起きた(ユーゴスラビアチェコスロバキアの事例など)[13]

旧ソ連圏における分離独立運動

ユーゴスラヴィア連邦の分離


注釈

  1. ^ 以下、国際社会で一般に法的権利として確立していない歴史的場面、あるいは概念としての説明をする際には「民族自決」という言葉を使うこととする。一方、法的権利として確立したのちの場面の記述では「民族自決『権』」という言葉を使うこととする。これは「外的自決」・「内的自決」・「政治的自決」・「経済的自決」についても同様である。
  2. ^ 21世紀前半において法的権利として確立したという見解には異論はないが、どの法源に立脚しているのかという点で不明確さが残る。というのも民族自決はその多くが国連総会決議に明記されている概念だからである。
  3. ^ ただソ連の国際法学者を中心として、国連憲章の時点で自決権を法的権利として認められたと解す意見もある。
  4. ^ ただこれらの規定は、国際聯盟規約からすると頗る前進を遂げたといって良い。コンゴー条約(1884-1885)にて、施政地域の住民の文化や社会を大切にすることが確認されたものの、実体としては植民地施政国による自由な統治が行われていたのである。また上記の通り、国際連合憲章にて「独立に向かって」といった内容面での著しい前進が見られたものの、1960年までの諸地域の独立問題の中で国際連合の議題として挙げられたものについて、概して植民地施政国は「国内管轄事項である」という主張を崩さず、フランスに至っては議場から退席するという強硬な態度さえ見せた。
  5. ^ a b なお、国連総会決議はソフト・ローの一種であり、一般には勧告的効力しか持たないため、法的拘束力はない。ただ植民地独立付与宣言は将来の条約や慣習国際法の形成を促す決議であり、友好関係原則宣言は「法原則宣言」とも呼ばれ、国連憲章や慣習国際法の内容の明確化を図るものである。

出典

  1. ^ 民族自決”. コトバンク. 2022年12月7日閲覧。
  2. ^ a b 山形英郎 2012.
  3. ^ Vladimir Ilyich Lenin. The Right of Nations to Self-Determination. 2009年8月1日閲覧.
  4. ^ インドの反英闘争(20世紀)”. 2023年2月10日閲覧。
  5. ^ 『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2017年3月5日、350-352頁。 
  6. ^ 『国際法講話-新しい「国際法の話」』有信堂、1991年、137-159頁。 
  7. ^ 『国際政治史-主権国家体系のあゆみ』有斐閣、2020年1月30日、147-150頁。 
  8. ^ 本多健吉『資本主義と南北問題』新評論、1986年、67-90頁。doi:10.11501/11970127NDLJP:11970127 
  9. ^ 『人権・自決権と現代国際法-国連実践過程の分析-』新有堂、1979年、193-263頁。 
  10. ^ a b 『人権論の新展開』北海道図書刊行会、2023年2月10日、157-182頁。 
  11. ^ a b 『変動期の国際法―田畑茂二郎先生還暦記念―』有信堂、1973年。 
  12. ^ 佐分晴夫「経済的自決権と現代国際法」『法の科学= Science in law : 民主主義科学者協会法律部会機関誌』第8号、日本評論社、1980年、59-70頁、doi:10.11501/2835881ISSN 03856267 
  13. ^ 吉田恵利「現代国際法における分離権の位置づけ:救済的分離論」『北大法政ジャーナル』第23巻、北海道大学大学院法学研究科、2016年、2-38頁。 
  14. ^ 『国際条約集(2022年度版)』有斐閣、2022年3月18日、16,27頁。 
  15. ^ 『国際法』東京大学出版会、2022年5月20日、138頁。 
  16. ^ 『コマンテール国際連合憲章-国際連合憲章逐条解説』東京書籍、1993年。 
  17. ^ 国連憲章テキスト|国連広報センター”. 国連広報センター. 2022年12月7日閲覧。
  18. ^ 山手治之 1960.
  19. ^ 『プラクティス国際法講義〈第3版〉』信山社、2018年3月31日、23-24頁。 
  20. ^ Sess.: 1960-1961), UN General Assembly (15th (1961) (英語). Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples.. https://digitallibrary.un.org/record/206145. 
  21. ^ (英語) Declaration on the granting of independence to colonial countries and peoples :: resolution /: adopted by the General Assembly. (1960-12-14). https://digitallibrary.un.org/record/662085. 
  22. ^ 植民地諸国、諸国民に対する独立付与に関する宣言 採択 一九六〇年一二月一四日 国際連合総会第一五回会期決議一五一四(XV)”. University of Minnesota. 2022年12月7日閲覧。
  23. ^ 『人権・自決権と現代国際法-国連実践過程の分析-year=1979』新有堂。 
  24. ^ 国際人権規約【社会権規約】(抄)”. 国立大学法人 神戸大学. 2022年12月7日閲覧。
  25. ^ 『国際人権規約成立の経緯』国際連合局社会課、1968年。 
  26. ^ 『国際人権規約草案註解』有信堂、1981年。 
  27. ^ a b 家正治 1997.
  28. ^ Sess.: 1970), UN General Assembly (25th (1971) (英語). Declaration on Principles of International Law concerning Friendly Relations and Cooperation among States in accordance with the Charter of the United Nations.. https://digitallibrary.un.org/record/202170. 
  29. ^ (英語) Declaration on Principles of International Law concerning Friendly Relations and Co-operation among States in accordance with the Charter of the United Nations :: resolution /: adopted by the General Assembly. (1970-10-24). https://digitallibrary.un.org/record/655895. 
  30. ^ 『国際法の新展開 : 太寿堂鼎先生還暦記念』東信堂、1989年、154-188頁。 
  31. ^ 国際連合憲章に従った国家間の友好関係及び協力についての国際法の原則に関する宣言 (友好関係原則宣言)[抄]”. University of Minnesota. 2022年12月7日閲覧。
  32. ^ (41)人民の自決権 I (自決権の概念とその変遷)【国際法】”. 2022年12月7日閲覧。
  33. ^ 常本美春『自決権の主体をめぐる議論状況について』(レポート)、Centre for New European Research21st Century COE ProgrammeHitotsubashi University、2008年。
  34. ^ 『国際法判例百選[第3版]』有斐閣、2021年9月30日、126-127頁。 
  35. ^ 『判例国際法〔第3版〕』東信堂、2019年6月20日、316-320頁。 
  36. ^ 『国際条約集 2022年度版』有斐閣、2022年3月18日、708-709頁。 
  37. ^ 松井芳郎 (1966). “天然の冨と資源に対する恒久的主権-1-”. 法学論叢 79 (3): 35-71. 
    松井芳郎 (1966). “天然の冨と資源に対する恒久的主権-2-”. 法学論叢 79 (3): 45-68. 
    田畑茂二郎 (1971). “現代国際法の諸問題-4-天然の冨と資源に対する恒久的主権”. 法学セミナー (187): 97-101. 
  38. ^ a b 住吉良人 1979.
  39. ^ 桐山孝信「自決権行使と領有権問題:西サハラ事件を手がかりにして-2完-」『法学論叢』第117巻第3号、京都大学法学会、1985年、85-107頁、ISSN 03872866CRID 1520572357776271488 






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