山中柴吉 山中柴吉の概要

山中柴吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 18:18 UTC 版)

経歴

山口県出身。山中太一郎の息子として生まれる。1889年(明治22年)4月、海軍兵学校15期)を卒業し、1890年(明治23年)7月に海軍少尉任官。1892年(明治25年)12月から一年間、海軍大学校で丙号学生として学ぶ。横須賀水雷隊敷設部分隊長、運送船監督(竹乃浦丸)、「鎮遠艤装員、同水雷長などを経て、1898年(明治31年)5月、海大(将校科3期)を卒業した。

1899年(明治32年)9月、海軍少佐に昇進し「八島」砲術長に就任。以後、「敷島」砲術長、兼佐世保鎮守府艦隊参謀、海大副官などを歴任。1904年(明治37年)1月、「対馬」副長兼呉工廠艤装委員となり日露戦争に出征。1905年(明治38年)2月、海軍中佐に進級し第3艦隊参謀に転じ、日本海海戦などに参戦した。同年6月、第2艦隊参謀へ異動。

1905年12月に第1艦隊参謀に就任。以後、呉鎮守府参謀兼望楼監督官などを務め、1908年(明治41年)9月、海軍大佐に昇進し「千代田」艦長となった。1909年(明治42年)3月、「秋津洲」艦長に就任。以後、「日進」艦長、兼「吾妻」艦長、造船監督官、艦政本部艤装員、「平戸」艦長、兼呉工廠艤装委員、「摂津」「金剛」の各艦長を歴任。

1914年(大正3年)12月、海軍少将に進級し第1艦隊参謀長に就任した。1915年(大正4年)11月、連合艦隊参謀を兼務し、以後、呉鎮守府参謀長、兼特務艦隊司令官第二水雷戦隊司令官、横須賀鎮守府付、横須賀工廠長を歴任。1918年(大正7年)12月、海軍中将に進んだ。1921年(大正10年)9月、将官会議議員に就任。同年12月に待命となり、1922年(大正11年)9月、予備役編入。1930年(昭和5年)2月、後備役となり、1935年(昭和10年)2月に退役した。

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

脚注

参考文献

  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。

  1. ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」明治24年12月15日
  2. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  3. ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
  4. ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
  5. ^ 『官報』第1923号「叙任及辞令」1918年12月29日。
  6. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  7. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。


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