国鉄ワ22000形貨車 国鉄ワ22000形貨車の概要

国鉄ワ22000形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/25 12:01 UTC 版)

国鉄ワ22000形貨車
基本情報
車種 有蓋車
運用者 鉄道省
運輸通信省
運輸省
日本国有鉄道
所有者 鉄道省
運輸通信省
運輸省
日本国有鉄道
製造所 日本車輌製造汽車製造川崎車輛新潟鐵工所田中車輛、鉄道省工場
製造年 1930年(昭和5年) - 1940年(昭和15年)
製造数 6,386両
改造数 42両
消滅 1983年(昭和58年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 6,230 mm
全幅 2,635 mm
全高 3,300 mm
荷重 10 t
実容積 24.0 m3
自重 8.1 t
換算両数 積車 1.4
換算両数 空車 0.8
走り装置 シュー式
車輪径 860 mm
軸距 3,000 mm
最高速度 65 km/h
備考 *上記寸法は一例である
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概要

本形式は、1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)にかけて、日本車輌製造本店・支店、汽車製造東京支店、川崎車輛新潟鐵工所田中車輛および鉄道省工場で6,386両(ワ22000 - ワ28385)が製造された、10 t二軸有蓋車である。鉄道省が製造したものの他に、42両(ワ28386 - ワ28427)が私鉄の買収により編入されるとともに、二車現存車の番号書き換えにより最終番号はワ28436となっている。

1929年(昭和4年)度には、15 t 積みのワム21000形が製造されていたが、折からの不況により小型車の需要が高まったため、10 t 積みで製造されたのが本形式である。製造期間が長期にわたるため、製造時期の形態差により次の3グループに分類される。

  • グループ1 : ワ22000 - ワ25002(3,003両)
  • グループ2 : ワ25003 - ワ27752(2,750両)
  • グループ3 : ワ27753 - ワ28385(633両)

グループ1は、1930年(昭和5年)度から1936年(昭和11年)度途中までに製造されたグループである。貨物室には幅1,700 mmの鋼製片引戸が1か所(片側)に設けられている。貨物室の寸法は、長さ5,300 mm、幅2,300 mm、高さ2,230 mm、床面積12.2 m2、容積24.0 m3である。全長は6,230 mm、全幅は2,445 mm、全高は3,330 mm、軸距は3,000 mm、自重は8.1 tとなった。車体は、前級のワム21000形の幅をそのままに長さと高さを短くし、各部の特徴も同形式をトレースしており、側板は厚さ2.6 mmの鋼板製で、鋲接による組み立てである。貨物室内には厚さ20 mmの木製の内張りが設けられており、外板との間に空間を設けた二重羽目構造となっている。側引き戸にはX字型の補強がされており、引き戸に内張りはない。妻板の上部には、ワム21000形と同様の構造の鋼板プレス製の通風器が2つ設けられている。屋根は、鉄製の垂木に厚さ20 mmの木製の屋根板を張り、防水布で覆った構造である。

台枠には、側梁と端梁には152×76、中梁には250×90断面の溝形鋼を使用した(1932年(昭和7年)製以降は、側梁を150×75溝形鋼に、側板を2.3 mm厚に変更)。組み立ては鋲接によっている。走り装置の軸ばね受けは、軸距が短くなったことからシュー式に戻り、スム1形と同様にばね受けの部分に高さ80 mmの受け座を設けている。最高運転速度は65 km/hで、車軸は10 t または12 t 長軸である。空気ブレーキは、床下スペースが狭隘となったことから、シリンダと空気溜めが分離したKD形とし、その中でも最小のKD180形が採用された。留置ブレーキは通常の側ブレーキだが、車端一杯に装備されている。自動連結器は柴田式上作用である。

グループ2は、1936年(昭和11年)末から1938年(昭和13年)にかけて製作されたグループで、台枠構造にト20000形の新機軸を反映したグループである。台枠は、中梁に200×80、側梁に180×90の溝形鋼を使用し、端梁は8 mm厚鋼板のプレス製となった。組み立てについても、溶接が多用されている。この構造変更により台枠の厚みが50 mm減少したが、台枠下面高さを連結器の関係から同一としたため、床面高さ、全高がその分低くなっている。また、グループ1で設けられていた軸ばねの受け座も廃止された。

車体の側板は、グループ1の重ね鋲接から突合せ溶接に変更され、強度に問題のない部分についても溶接が採用され、板厚も2.3 mmと薄くなった。側引き戸は、裏面が木板の二重羽目構造とされ、従来表側にあった補強も内側に隠され、横2本のリブ状となった。通風量を増すため、妻面上部の通風器の数が3個に増やされるとともに、鋼板溶接品となった。

グループ3は、1939年(昭和14年)及び1940年(昭和15年)に製作されたグループで、基本構造はグループ2と同一であるが、前年から製造が開始されたワム23000形の構造を反映している。外観上は、横補強を表側に移設した側引き戸が目立つが、鉄道省工場製の一部にはグループ2と同様の構造のものがある。また、妻面上部の通風器についても、すべてワム23000形と同じ形状のかまぼこ形となった。

1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)にかけて更新修繕が実施され、漏損事故の多かった屋根の強化や忍錠の取り付けなどが行われた。

1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正で実施された貨物列車の速度向上では、軸距が短いことから不適格とされ、1965年(昭和40年)から本格的な廃車が始まった。同改正後は、補助記号「ロ」と黄1号の帯を標記して北海道内に封じ込められた。1967年(昭和42年)度末の在籍両数は3,476両であったが、1968年(昭和43年)度末時点の在籍両数は272両に激減した。1971年(昭和46年)までに実質的に消滅し、台帳上残った2両も1983年(昭和58年)に除籍され、形式消滅となった。

形式間改造

ト32000形

1945年(昭和20年)に1両が13t 積みの無蓋車ト32000形(ト32000)に改造されている。1950年(昭和25年)に消滅した。

ポ100形

ポ100形は、1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)にかけて、ワ22000形およびトキ900形の改造により製作された、10t 積み陶器車である。130両(ポ100 - ポ229)が国鉄工場で製造された。外観は、ワ22000形と変わらないが、貨物室内に取り外し可能な棚を1段設け、荷崩れ防止用の扉板を荷役扉上部に備えていた。

主に名古屋鉄道管理局管内に常備され、京阪方面への輸送に使用されたが、後継形式のポム200形が登場したのにともない、1968年度に形式消滅となった。

ヒ600形

1954年(昭和29年)から製作されたヒ600形の改造種車となっている。




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