京福電気鉄道越前本線列車衝突事故
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2001年6月24日の事故
京福電気鉄道越前本線 列車衝突事故(2001年) | |
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発生日 | 2001年(平成13年)6月24日 |
発生時刻 | 18時頃 (JST) |
国 | 日本 |
場所 | 福井県勝山市 |
路線 | 越前本線 |
運行者 | 京福電気鉄道 |
事故種類 | 正面衝突事故 |
原因 | 信号無視・ATSの未設置 |
統計 | |
列車数 | 2両 |
負傷者 | 24人 |
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2001年(平成13年)6月24日18時頃、越前本線の保田駅 - 発坂駅間(単線)で、勝山発福井行きの上り普通列車(モハ5001形5002・1両編成)と福井発勝山行きの下り急行列車(モハ2201形2201・1両編成)が正面衝突し、乗員乗客25名が重軽傷を負った。うち上り列車の運転士および乗客の4名が重傷を負っている[7]。
事故原因は、本来は発坂駅で対向する急行列車とすれ違う(列車交換)必要があったところを、上り普通列車の運転士が列車交換ダイヤを失念した上に、出発信号機の現示を確認せずに発車したというヒューマンエラーであった。また、自動列車停止装置 (ATS) の未設置も問題視された。
京福では1970年代、赤字に伴う合理化で有人駅が無人駅化されるとともに、タブレット閉塞が廃止され自動信号化されていた。これに伴いタブレットの手渡しも廃止されたが、完全な自動閉塞やATSの設置を伴わない不完全な移行であったため、事実上は運転士1人の注意力に頼らざるを得ない状態となっていた。1970年代から運転休止までは運転指令所や対向列車との確認のやり取りなどもあったが、実質的には信号確認のみに頼らざるを得ない運行を行っていた。
福井県警察捜査本部の発表では、本件事故について上り列車の運転士が出発信号機の停止現示を見落として誤出発したことが原因としている。わずか2か月の見習い期間中に乗務させたとして問題となった。福井県警察捜査本部と同勝山警察署は同年11月20日、上り列車を運転していた運転士(当時22歳)を業務上過失往来危険罪の容疑で逮捕[8][注 5]。2002年10月、福井地方裁判所は禁錮2年6か月執行猶予5年の有罪判決を下した。
一般的には信号無視とATS未設置が主な事故要因との論調であったが、2001年(平成13年)6月25日放送のフジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』番組内で、司会の小倉智昭が「ATSのない単線は原則としてタブレット交換すべき」と発言するなど、一部マスメディアや鉄道雑誌ではタブレット交換の廃止が原因とする論調も存在した。
注釈
- ^ ロッド等の先端に加工したU字またはY字形をした、両先端にピンを通す穴の開いた部材のこと。ピン(クレビスピン)を差し込んで連結する。
- ^ 現在は、各台車各軸に独立したブレーキシリンダー(またはブレーキキャリパー)が取り付けられるものが一般的である。ただしこれは、元来は安全性向上のための多重化ではなく、ブレーキの応答性を高めて高減速性能を確保するため、日本国有鉄道(国鉄)および大手私鉄の新性能電車によって確立された技術であった。
- ^ 例として東京都交通局(都電)の「一球さん」や、東海旅客鉄道(JR東海)でイベント用に改造したクモハ12041などが挙げられる。
- ^ 本件事故以前は大手私鉄においても、このような古典台車を履いた機器流用車は珍しくなく、特に東武鉄道では原型が明治期に遡るゲルリッツ台車を履いた3000系列が1996年まで運用されていた。その他、枕バネを空気バネ化した例や、ブレーキシリンダーを台車側に移設した例も散見される。
- ^ 参考・鉄道友の会福井支部報『わだち』など。
出典
- ^ 「志比堺-東古市間で列車衝突事故」『交通新聞』交通新聞社、2000年12月19日、3面。
- ^ 『福井新聞』2000年(平成13年)12月28日付
- ^ 「福井で電車正面衝突」『北日本新聞(朝刊)』、2000年12月18日、1面。
- ^ 「老朽化した市民の足」『北日本新聞(朝刊)』、2000年12月18日、24面。
- ^ a b c d “社会貢献者表彰 平成13年度 第一部門(緊急時の功績・日本財団賞)”. 社会貢献支援財団. 2012年10月8日閲覧。
- ^ a b c d “社会貢献者の記録 平成13年度”. 日本財団 図書館. 2020年7月4日閲覧。
- ^ 「京福電車また正面衝突」『福井新聞』福井新聞社、福井県、2011年6月24日。2020年1月9日閲覧。オリジナルの2016年6月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『福井新聞』2001年(平成13年)11月21日付
- ^ 「京福電鉄また正面衝突」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2001年6月25日、朝刊、39面。
- ^ 「中部運輸局 京福電鉄に改善命令 全国初 2カ月内報告求める」『中日新聞』中日新聞社、2001年7月20日、朝刊、1面。
- ^ 「京福電鉄 越前本線を一部廃線 鉄道離れ経営悪化 東古市-勝山間と永平寺線全線 バスに切り替え 4年度中に」『中日新聞』中日新聞社、1992年2月21日、福井版、朝刊、18面。
- ^ a b c 福井県未来創造部 新幹線・交通まちづくり局地域鉄道課 (2010年6月16日). “京福越前線存続の経緯”. 福井県ホームページ. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “えちぜん鉄道の経験” (PDF). 国土交通省. 2022年5月2日閲覧。
- ^ 蔡和穎「台湾鉄道、一斉警笛で2年前殉職の運転士を追悼」『フォーカス台湾 日本語版』中央通訊社、2014年1月17日。2016年9月25日閲覧。オリジナルの2016年10月21日時点におけるアーカイブ。
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