三菱ダイヤモンドハイウェイ
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1960年代 - 1970年代前半頃
TBSラジオ
1961年から1971年、1972年から1974年の二期に渡り、TBSラジオ(東京放送[注 1]ラジオ部門)で放送された。
1961年 - 1971年
三菱ダイヤモンド・ハイウェイ (TBSラジオ。1961年 - 1971年) | |
---|---|
愛称 | ダイヤモンド・ハイウェイ |
ジャンル | 情報番組 / ワイド番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1961年2月13日 - 1971年4月30日 |
放送時間 |
毎日 15:10 - 18:00(開始当時) 平日 17:30 - 18:00(終了当時) |
放送局 | TBSラジオ |
パーソナリティ | (#出演者参照) |
提供 | 三菱グループ各社(三菱石油ほか) |
1961年2月13日から1971年4月30日にかけて[1][7]、毎日[1](のちに平日のみ[1])の帯番組として生放送された。開始当時の放送時間は毎日15:10 - 18:00[1]、終了当時は平日17:30 - 18:00[1]。
三菱石油と新三菱重工業(のちの三菱重工業)[11]または三菱商事と三菱石油[12]が提供スポンサーを務めていた(三菱石油一社提供の時期もあり[13])。
2002年に東京放送から発行された『TBS50年史』各種資料では、本番組のジャンルについて「生ワイド・パーソナリティー番組」[1]または「情報」[7]として扱われている。
ドライバー向けの情報番組として、交通情報をはじめ、鉄道・航空などの運行情報、気象概況などに音楽を挟んだ構成だった[7]。その間、1962年10月には、夕方のドライバー向け編成強化のため、放送時間を50分から70分へ拡大した[14](1963年3月当時の放送時間は毎日16:20 - 17:30、出演者は平日・土曜が杉山真太郎と大沢嘉子、日曜が金坂光春と相場君子、スポンサーは三菱商事と三菱石油だった[12])。
1963年4月11日から1965年10月10日まで、プロ野球シーズンとなる4月から9月または10月までの日曜については、プロ野球中継『日曜薄暮ゲーム』(16:20 - 18:55)が編成されない時にのみ放送されていた[15]。
1964年7月13日から平日・土曜はワイド番組『オーナー』の内包番組(コーナー)として16:20 - 17:30に放送[16](一部資料では16:20 - 17:00[7]としているが、誤り)。「お相手」として山口紘子が出演した[16]。コーナーとしては1966年10月1日の『オーナー』終了まで続いた。
1967年5月、朝日放送(ABC)ラジオ[注 2]が日本で初めてヘリコプターを導入した交通情報番組として『空からこんにちは〜ABCヘリ情報〜』を開始[17][18]。TBSラジオも視察ののち、6月より本番組内で同様の交通情報を開始[17](開始日は6月10日[19][20])。また、この導入を機に、ヘリによる交通情報をメインとする番組として、同年9月4日より、平日・土曜の朝に『トヨタ・スカイパトロール』が開始された[17]。
1968年4月頃には、17:00 - 17:30に変更(同月当時のパーソナリティは平日が清水将夫、日曜が吉田未来。提供スポンサーは三菱石油の一社だった)[13]。
1970年までには、平日のみの放送となっている。
『「ダイヤモンド・ハイウェイ」ファンの集い』と題したリスナー向けの公開イベントを行ったこともあった[21]。
出演者(TBSラジオ。1961年 - 1971年)
- 歴代の主な進行役(参考:『TBS50年史』資料編P195)
- 杉山真太郎・大場ゆかり[1][7][22]
- 杉山真太郎・大沢嘉子[1][7][23]
- 新堀俊明・加藤かな子[1][7][24]
- 杉山真太郎・清水恵子[1][7][25] ※1964年まで平日・土曜担当として出演[26]。
- 山口紘子[1][7](1964年[27]) ※『オーナー』内包当時の出演[16]。
- 小川哲哉・遠藤泰子[1][7](1966年[28][29])
- 清水将夫[1][7](1967年[30])
- 遠藤泰子[31][7]
- 本田綾子[1][7][32]
- 今井とも子[1][7]
※今井以外は、担当当時TBS[注 1]アナウンサーだった(今井は、退社後の担当[33])。
- 上記以外の出演者
- 上記以外の出演者(TBS[注 1]アナウンサー)
- 高野昭平(1961年[36])
- 金坂光春(1962年[37]) ※1963年3月当時、日曜日を担当[12]。
- 料治直矢(1963年[38])
- 相場君子(1962年[39]) ※1963年3月当時、日曜日を担当[12]。
- 原田淑枝(1964年[40]) ※1964年10月当時、三国とともに日曜を担当[41]。
1972年 - 1974年
1972年の春頃には、『東京ダイヤル』(17:00 - 18:40)の内包コーナーとして17:00 - 17:30の枠に再開[42]。三菱石油の一社提供[42]。1973年4月、同枠が『おつかれさま5時です』(17:00 - 18:00)となったあとも内包コーナーとして続行[43]。1974年まで続いた[44]。
近畿地区での放送
近畿地区では、以下のように放送されていた。
朝日放送
ABC[注 2]では、1964年4月1日から1968年9月30日にかけて毎日放送された[45]。ジャンルは、音楽番組[45]。放送時間は、月曜から土曜は17:00 - 17:50、日曜は14:00 - 14:20だった(変更あり)[45]。
毎日放送
ABC[注 2]の終了後は、毎日放送(MBS)が1968年10月1日から1971年4月30日まで[9]放送した。当初は毎日[9]、1970年4月6日より週6回[9]、1971年4月12日から週5回[9]の割合で、17:00 - 17:27[9]の時間帯に放送された。
出演者は、阪本時彦[9]、角淳一(1969年4月16日より[9]、分担[9])、キャサリン・モーリス(1969年5月7日より参加[9])。『時さんのラジオ大通り』(「時さん」こと阪本がパーソナリティを務めていた平日夕方の生ワイド番組)へ内包されていた時期には、「時さんのダイヤモンドハイウエイ」というタイトルを独自に付けていた。
- ^ a b c 1951年5月にラジオ東京として会社設立。同年12月25日にラジオ放送局として開局。1953年12月よりKRTの略称を採用。1955年4月にテレビ本放送開始・ラテ兼営局となる。1960年11月29日に社名を東京放送・略称をTBSへ変更。以降、ラジオ局部門について「東京ラジオ」(1961年以降は「TBSラジオ」)と呼ばれるようになる。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ(略称:TBS R&C)、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(社名を東京放送ホールディングス・略称をTBSHDにそれぞれ変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。2016年4月にTBS R&CはTBSラジオへ社名変更。2020年10月に東京放送ホールディングスはTBSホールディングスへ社名変更。アナウンサーの配属先も、持株会社化を機にTBSテレビへ移行した(2004年10月のTBSテレビ発足時に東京放送在籍者が全て出向、2005年以降の新規採用者はすべてTBSテレビの在籍[69])。
- ^ a b c d 1951年3月15日に朝日放送(ABC)として会社設立。同11月11日にラジオ単営局として開局。1959年6月に大阪テレビ放送(OTV)を合併しラジオ・テレビ兼営局となる。2018年4月に朝日放送グループホールディングスへと社名変更・放送持株会社化し、ラジオ放送業務は朝日放送ラジオ(ABCラジオ)、テレビ放送業務は朝日放送テレビ(ABCテレビ)としてそれぞれ子会社の運営に移行。アナウンサーの配属先はABCテレビに移行した。
- 1 三菱ダイヤモンドハイウェイとは
- 2 三菱ダイヤモンドハイウェイの概要
- 3 1960年代 - 1970年代前半頃
- 4 1970年代後半頃以降
- 5 脚注
- 6 参考資料
- 7 関連項目
- 三菱ダイヤモンドハイウェイのページへのリンク