ワーナーミュージック・ジャパン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 14:47 UTC 版)
沿革
- 1970年 - ワーナー・ブラザース(50%出資)とオーディオ機器メーカー(当時)・パイオニア(25%)、芸能プロダクションの渡辺プロダクション[注釈 2](25%)の3社により、「ワーナーブラザーズ・パイオニア株式会社」を設立。これは、当時の日本でアメリカ資本のみのレコード会社設立が出来なかったためである[注釈 3]。
- 発足当初のレーベルは、以下の4つだった[注釈 4]。
- 現役時代のレッド・ツェッペリンなどを擁したことから洋楽志向の強いメーカーというイメージもあるが、スタート時点から邦楽にも力を注いでおり、最初のビッグ・ヒットが「わたしの城下町」(小柳ルミ子)だった。
- 興味深いのは邦楽の取扱いで、全てが「パイオニア・レーベル」というわけではなく、アーティストによって振り分けが行われていた(小柳ルミ子はリプリーズ、ペドロ&カプリシャスはアトランティック)[注釈 6]。
- 1972年 - 社名を「ワーナー・パイオニア株式会社」に変更。
- 1978年 - 渡辺プロダクションがワーナーと並行する形で出資していた「アポロン音楽工業」(現:バンダイナムコミュージックライブ)へ音源の発売権を一本化することを発表し、資本撤退。それに伴い、渡辺音楽出版が原盤供給していた音源が引き揚げられ、一部作品はSMSレコードから再発売される。
- 1990年 - パイオニアが自社系列で音楽・映像ソフト制作に乗り出す方針を固め、1981年設立の「レーザーディスク株式会社」を1989年、「パイオニアLDC」(現:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)に商号変更し、この年、正式に資本撤退[注釈 7]。ワーナー・ブラザース・グループの100%子会社となる。
- 新会社WEAミュージック株式会社が設立される。第一弾アーティストは槇原敬之で、代表は折田育造。
- アルファ・ムーンが、マザーアンドチルドレンと合併、ジャグラーと提携して、エム・エム・ジーに改称。GARLANDレーベルを新たに発足。ワーナーミュージック・グループ傘下入りする。
- 1991年 - 社名を「株式会社ワーナーミュージック・ジャパン」(初代法人)に変更。
- 1993年 - スターダスト☆レビューや森高千里が所属する芸能事務所アップフロントグループと共同出資で、ワン・アップ・ミュージック(現:アップフロントワークス)を設立[注釈 8]。
- エム・エム・ジーが、イーストウエスト・ジャパンに改称。
- 1994年 - 1990年設立のWEAミュージック株式会社を吸収合併し、レーベルはwea japanに一本化。法人としてのワーナーはグループの統括会社として機能。
- マイカルハミングバードの音楽・映像事業を譲受する。
- 1996年 - 邦楽の演歌部門から完全撤退。小林幸子ら所属演歌歌手が他社への移籍を余儀なくされる。
- 1997年 - ソニー・ミュージックエンタテインメントから稲垣博司や橋爪健康などのエグゼクティブが大量にワーナーへ転籍。
- 華原朋美・今井美樹・坂本龍一・PENICILLINらを高額の移籍金で他社から移籍させる。
- 1998年 - wea japanがワーナーに吸収され、発売元はワーナーミュージック・ジャパンに変更される[注釈 9]。
- 2002年 - 関連会社の株式会社イーストウエスト・ジャパン、株式会社ワーナーミュージック・ジャパン、タイム ワーナー エンターテイメント ジャパン株式会社の3社が合併し、「ワーナー エンターテイメント ジャパン」となる。
- 2004年 - ワーナー・ブラザースの親会社である米国タイム・ワーナー(現:ワーナー・ブラザース・ディスカバリー)が音楽部門を分離・売却。それに伴い、ワーナー エンターテイメント ジャパンも音楽ソフト部門を分離、社名が再び「ワーナーミュージック・ジャパン」(2代目法人)となる。
- 2011年
- 2013年
- 5月 - 社名の『WARNER MUSIC JAPAN』の書体が変更される。ロゴマークに変更はない。
- 9月 - 同年の2月7日、 ワーナーミュージック・グループが、ユニバーサル ミュージックから、EMIレコードの一部門であるパーロフォン・レーベル・グループを買収したことに伴い[4]、日本でのEMIクラシックス(旧EMIミュージック・ジャパン原盤を除く)や欧州のEMI(ビートルズを除く)の販売権が、日本のユニバーサル ミュージックから移行される。
- 2014年
- 2015年
- 3月 - 同社の社内カンパニー兼芸能プロダクション事業の株式会社ワーナーミュージックエージェンシーを発足。
- 7月 - 代表取締役COOに堀切英明が就任。
- 2017年
- 10月1日 - 同年秋より、CD/DVD等のパッケージ商品の小売販売・流通業務をソニー・ミュージックマーケティング(現:ソニー・ミュージックソリューションズ)へ委託することを決定[3]。
- 2020年
- 4月1日 - ロゴマーク(CI)の意匠を変更。
- 2021年
- 8月5日 - 同社の社内カンパニーとしてこれまでのワーナーミュージックエージェンシーの後継となる女優・モデルマネージメントを中心とした芸能プロダクション事業のワーナーミュージック・アーティスツを発足。
注釈
- ^ ワーナーミュージック・ジャパン内のワーナーミュージック・アーティスツとして、マネジメント業務を行っている。
- ^ 現在は持株会社制に移行により、芸能部門はワタナベエンターテインメントが担当。
- ^ こういった企業形態が誕生するきっかけは、外圧による日本の資本の自由化である。レコード業界では、1968年3月11日に設立したCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント〈SMEJ〉)が第1号企業だった(米CBSと日本のソニー〈現:ソニーグループ〉との合弁)。このほか、1970年6月21日にはフィリップス・レコード、日本ビクター(現:JVCケンウッド)、松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)の三社合弁で日本フォノグラム(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)も設立された。
- ^ 発足当時のレコード月報より
- ^ 前者が「空手バカ一代」や「ゼロテスター」、「星の子チョビン」、「タイムボカン」、「ブロッカー軍団IVマシーンブラスター」、後者が「愛の戦士レインボーマン」、「白獅子仮面」など。また、アニメ・特撮ドラマ主題歌を除いた場合は笑福亭鶴光や山本正之などがこのレーベルに在籍していた。
- ^ 発足当時のレコード月報より
- ^ 米国本社でのディスク原盤製造の撤退に伴い、パイオニアLDCを通じての販売元としての契約は後に同社の後身であるNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンが2017年秋まで担当していた。
- ^ 1995年にワーナーが資本撤退している。1998年4月までワーナーが販売受託していた(同年5月以降よりゼティマ(現:アップフロントワークス)に社名変更し、同時に販売委託をソニー・ミュージックエンタテインメント(現:ソニー・ミュージックソリューションズ)へ変更)。
- ^ 尚、1997年より、規格品番がWP〇Vに該当される作品は発売元がワーナーミュージック・ジャパンになっている。
- ^ 「あいたいよ」と「京都哀愁」の2枚のシングルのみの在籍。
- ^ レーベル名は本家ワーナーミュージック内のレーベル「FUELED BY RAMEN」のオマージュ
- ^ 先述した通り1990年のパイオニアの資本離脱により商標が使用できなくなったため。
出典
- ^ “特定商取引に関する法律に基づく表記”. 株式会社ワーナーミュージック・ジャパン. 2024年2月5日閲覧。
- ^ “株式会社ワーナーミュージック・ジャパンの情報”. 国税庁法人番号公表サイト. 2024年2月5日閲覧。
- ^ a b “ワーナー、CD/DVD等パッケージ商品の小売販売・流通業務をソニー・ミュージックマーケティングへ委託”. Musicman-NET. (2017年6月1日) 2017年6月1日閲覧。
- ^ “ワーナー・ミュージック、EMIの欧州資産買収へ”. THE WALL STREET JOURNAL 日本版. (2013年2月8日) 2014年8月7日閲覧。
固有名詞の分類
港区 (東京都)の企業 |
日本液炭 ハーモニープロモーション ワーナーミュージック・ジャパン ブランディング イー・モバイル |
日本の音楽・映像ソフト会社 |
トイズファクトリー Frog Entertainment Japan ワーナーミュージック・ジャパン イーストワークスエンターテインメント グリーンバニー |
日本のレコード・レーベル |
トイズファクトリー Frog Entertainment Japan ワーナーミュージック・ジャパン DELICIOUS LABEL House Of Strings |
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