ロンゴロンゴ 現存する資料

ロンゴロンゴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 09:44 UTC 版)

現存する資料

木材に刻まれた26点のテキストが残されており、それぞれ2から2,320の単独の絵文字と、合計で15,000以上の合字の絵文字が刻まれている。おそらく島の首長の神聖な杖である「文字板 I」(別名、「サンティアゴ杖」)以外の大半は長方形の木板である。「文字板 J」と「L」は「レイミロ」の飾りに刻まれたもの、「X」は「タンガタ・マヌ」(鳥人)の小像の様々な部位に刻まれたものである。また、「Y」は、ロンゴロンゴの文字板から切り取られた木材により組み立てられた、ヨーロッパのかぎ煙草入れの箱である。レイミロのような装飾品や小像、杖などの文字板は、美術品としての価値もあることから固有の名称が付けられている(Buck 1938:245)。「文字板 C」と「S」は、残されている文書から、宣教師がやって来るより以前のものであることがはっきりしているが、他の文字板もこの2つと同じくらいか、より古いものである可能性がある。その他にも、ロンゴロンゴであると証明される可能性のある、単独で刻まれた絵文字や短い絵文字の列が知られている[5]

古典的テキスト

バルテルは、本物と認められる24点の文字板をアルファベット1文字で識別し、その後、これらにもう2点の文字板が追加された。文字板の面は、テキストがどこから始まるのかが判明しているものについては、それぞれ r (recto の略、表面)、または v (verso の略、裏面)の記号で区別され、例えば Pr2 は「文字板 P」(サンクトペテルブルク大文字板)の表面、2行目を指す。しかし、テキストの始まりが判明していないものについては、面はそれぞれ a および b の記号で区別され、例えば、 Ab1 は「文字板 A」(タフア文字板)の b の面、1行目を表す。かぎ煙草入れの箱の文字板は6面体であるため、それぞれの面が a から f までの記号で区別されている。

バルテルによる
符号
フィッシャーによる
符号
その他通称 / 異 名 所蔵場所 備考
A RR1 タフア(Tahua)
(the Oar = 櫂)
ローマ
イエズス・マリアの聖心会修道院
長さ91 cmのヨーロッパ、またはアメリカの船の櫂(オール)の先端部に、
1,825の絵文字が刻まれている。セイヨウトネリコ 製。
B RR4 アルク・クレンガ(Aruku kurenga) 長さ41 cmのサキシマハマボウ (Pacific rosewood, Thespesia populnea)の板。浅い溝(行)があり、
その中に1,135の絵文字が刻まれている。
C RR2 ママリ(Mamari) 長さ29 cm。「B」と同じ材質だが、浅い溝(行)はない。1,000の絵文字が刻まれており、内容は暦に関するもので、
他の文字板に比べ、絵文字が絵画的である。
D RR3 Echancrée
(刻まれたもの)
パペーテ 長さ30 cmの、浅い溝(行)のない文字板。270の絵文字が刻まれている。釣り糸のリールとして使われていた。
表と裏で、筆跡が異なる。南アフリカ原産の、South African Yellowwood (Podocarpus latifolius)製か?[独自研究?]
E RR6 ケイティ(Keiti) ルーヴェン 822 の絵文字が刻まれた39 cmの文字板。浅い溝(行)がある。
第一次世界大戦で失われたが、原物から取られた鋳型がワシントンとパリに現存している。
F RR7 Chauvet fragment ニューヨーク[注釈 4] 51の絵文字が荒く刻まれている、12 cmの文字板。ヤシの木製か?[独自研究?]
G RR8 サンティアゴ小文字板
(Small Santiago)
サンティアゴ
チリ国立
自然史
博物館
720の絵文字が刻まれた32 cmの紫檀製の文字板。浅い溝(行)がある。
裏面のテキストには何かの系図が含まれていると思われ、他のテキストとパターンが異なっている。
H RR9 サンティアゴ大文字板
(Large Santiago)
1,580の絵文字が刻まれた44 cmの紫檀製の文字板。
テキストが「P」および「Q」とほとんど同一である。
I RR10 サンティアゴ杖
(Santiago staff)
2,920の絵文字が首長の杖に刻まれている。現存するテキストでは最長のもので、このテキストに似たパターンのものは、「Gv」と「Ta」にしか見られない。句読点らしきものが使われている唯一の文字板。
J RR20 大レイミロ
(Large reimiro)
ロンドン 絵文字2つが刻まれた長さ73 cmの胸飾り。
非常に古いものである可能性がある。
K RR19 ロンドン
(London)
荒く刻まれた163の絵文字のある、22 cmの紫檀製文字板。
テキストが「Gr」とよく似ている。
L RR21 小レイミロ
(Small reimiro)
44の絵文字が刻まれた長さ41 cmの胸飾り。
非常に古いものである可能性がある。紫檀製。
M RR24 ウィーン大文字板
(Large Vienna)
ウィーン
ウィーン民族学
博物館
長さ28 cmの紫檀製の文字板。保存状態が悪く、面 b は破壊されているが、
a に54の絵文字が見える。初期に作成された鋳型に、もっと多くのテキストが残っている。
N RR23 ウィーン小文字板
(Small Vienna)
172の絵文字の刻まれた、26 cmのユクノキ製文字板。テキストは「Ev」にやや似ている。
O RR22 ベルリン(Berlin) ベルリン
民族学博物館
103 cmの流木。面 a に90の絵文字がはっきりと刻まれている。
保存状態が悪いため、面 b にある絵文字は視認できない。
P RR18 サンクトペテルブルク大文字板
(Large St. Petersburg
サンクトペテルブルク
ピョートル大帝人類学
・民族学博物館
長さ63 cmのヨーロッパ、またはアメリカの船の櫂(オール)の先端部に、1,163の絵文字が刻まれている。
ユクノキ製でカヌーの床板になっていた。テキストは「H」および「Q」とほぼ同じである。
Q RR17 サンクトペテルブルク小文字板
(Small St. Petersburg
44 cmの紫檀の幹に718の絵文字が刻まれており、浅い溝(行)がある。
テキストは「H」および「P」とほぼ同じである。
R RR15 ワシントン小文字板
(Small Washington)
ワシントン 357の絵文字が刻まれており、ほとんどすべての句が
他の文字板のテキストにも見られるものである。長さ24 cm。
S RR16 ワシントン大文字板
(Large Washington)
長さ63 cm紫檀の木板に、600の絵文字が刻まれている。
カヌーの床板になっていた。
T RR11 ホノルル溝付文字板
(Fluted Honolulu)
ホノルル 浅い溝(行)が彫られた31 cmの木板上に、120の絵文字がはっきりと刻まれている。
保存状態が悪いため、面 b にある絵文字は視認できない。
U RR12 ホノルルの横げた
(Honolulu beam)
長さ70 cmのヨーロッパ、またはアメリカの船の横げたに、27の絵文字がはっきりと刻まれている。
保存状態は悪く、表と裏で、筆跡が異なる。
V RR13 ホノルルの櫂
(Honolulu oar)
長さ72 cmのヨーロッパ、またはアメリカの船の櫂(オール)の先端部に、22の絵文字がはっきり刻まれている。保存状態が悪く、面 a にテキストが1行と、2つの対になった絵文字が2組刻まれているほか、面 b にもかつてテキストが刻まれていた痕跡がある。
W RR14 ホノルルの断片
(Honolulu fragment)
片側の面に絵文字8つが刻まれた7 cmの木片。
X RR25 タンガタ・マヌ(Tangata manu)
ニューヨーク鳥人文字板
(New York birdman)
ニューヨーク 高さ33 cmの「タンガタ・マヌ」の小像。
7つのテキスト(合計37の絵文字)が浅く刻まれている。
Y RR5 パリのかぎ煙草入れ
(Paris snuffbox)
パリ 3つの別々の文字板の部分から成る7 cmの箱。
箱の外側にのみ85の絵文字が荒く刻まれている。流木か?[独自研究?]
Z T4 ポイケ重ね書き文字板
(Poike palimpsest)
サンティアゴ
チリ国立
自然史
博物館
11 cmの木片。流木か?[独自研究?]本来のテキストの上に、新たに絵文字を刻みなおしたものらしく、
本当に古くから伝わるテキストであるか疑問が投げかけられている[誰?]

その他にも、荒いタッチの絵文字が刻まれている石や木製の品が存在するが、ほとんどはロンゴロンゴが発見されてから間もない頃に、観光目的で作られた偽物であると考えられている。26の文字板の中にも信憑性が疑われているものもある。例えば、出所の由来がはっきりしない「文字板 X」、「Y」、「Z」、絵文字が拙い「文字板 F」、「K」、「V」、「W」、「Y」、「Z」、金属製の刃物で刻まれたと思われる「文字板 K」、「V」、「Y」である[注釈 5]。そのため、たとえこれらの文字板が本物であることが証明されても、解読作業で信頼できる資料とはならない。「文字板 Z」は、初期に作られた多数の偽物に似ている点が多いばかりか、絵文字も牛耕式で刻まれていない(後述書記方向参照)。しかし、これは見えづらくなった本物のテキストの上に、新たなテキストを刻み直した結果であるかもしれない[6]

その他のテキスト

後述のペトログリフに加え、ロンゴロンゴである可能性のある、いくつかの短いテキストも見つかっている。フィッシャーは、「小像の被っている冠の多くに、ロンゴロンゴか、ロンゴロンゴに似た絵文字を確認できる」と報告している[7] 。フィッシャーはその例として、「モアイ・パカパカ」(mo‘ai pakapaka)の小像の冠にある、合字 の絵文字を挙げている[注釈 6]。絵文字 070 の内部に、絵文字 002 が組み合わされたこの合字の絵文字は、これ以外には存在が確認されていないが、絵文字 070 と他の絵文字の合字に外見がよく似ている。絵文字 700 が刻まれた、人間の頭蓋骨も多く見つかっており、これは ''îka = 「戦死者」を表しているのかもしれない。また他にも、初期の訪問者によって記録された、ロンゴロンゴの絵文字によく似た刺青なども知られているが、それだけ単独で描かれた絵画的なものであるため、本当にロンゴロンゴの絵文字であるのか確認が困難である。

絵文字

ロンゴロンゴの絵文字のほぼ完全な収集で、唯一公刊されているものは、バルテルが1958年に発表したものである。バルテルは個々の絵文字に3桁の識別番号を付け、絵文字をグループに分類した。数字のみが付けられた絵文字は、バルテルが「基本形」(Grundtypus)であると考えた絵文字で、それと外見の似た、バルテルが異体字と判断した絵文字には、「基本形」と同じ番号にアルファベットが付加されている。バルテルは600の識別番号を 割り当てている。100の位は0から7までで、頭部(頭部のないものは全体の姿)による分類であり、0と1は幾何学的模様もしくは非生物、2は「耳」のあるもの、3と4は口を開けているもの(尾、または脚の形でさらに細分化される)、5はその他様々な形の頭部、6は嘴(くちばし)のあるもの、7は魚もしくは節足動物などである。10の位と1の位は、絵文字の形状についての特徴に応じて付けられており、外見の似たものはすべて同じ番号が付けられている。例えば、絵文字206、306、406、506、606はすべて、左側に下を向いた翼があり、4本指の右手を上に挙げた姿の絵文字である(下図参照)。

識別番号の付け方: 100の位の数字は頭部、または全体の姿による分類、1の位の「6」は挙上された独特な手を表す。

絵文字をどのグループに分類するかに、ある程度の任意性があり、番号の割り振りやアルファベットの付け加え方にも矛盾があるため、この識別番号の仕組みはかなり複雑なものになっている[8]。しかし、そのような欠点にもかかわらず、バルテルの分類方法は今のところ、ロンゴロンゴの絵文字を分類整理するために提案された唯一の効果的な方法である[9]

バルテルは1971年、絵文字の種類は120ほどで、他の480はその異体字、もしくは2つの絵文字を組合せた合字であるという説を発表した[注釈 7]。この説を支持する証拠は未だ発表されていないが、同じ程度の数字が他の学者達によっても見積もられている[11]

資料の公刊・出版

発見以来およそ1世紀もの間、テキストが刊行された例はわずかしかなかった。サンティアゴチリ国立自然史博物館の館長ルドルフ・フィリッピ(Rudolf Philippi)が1875年に「サンティアゴ杖」のテキストを、オーストラリアシドニーの医師、アラン・キャロル(Dr. Alan Carroll)が1892年、「文字板 A」のテキストの一部をそれぞれ出版した。トーマス・バルテルが1958年に Grundlagen zur Entzifferung der Osterinselschrift(『イースター島文字解読のための基礎』)の中で、現存するほとんどすべてのテキストを公刊したが、それまでは大半のテキストが、未来の解読者となるかもしれない人々にとって目にすることができないままであった。バルテルのこの著作は、今日までロンゴロンゴ研究の基礎的文献の地位を保っている。バルテルは「文字板 A」から「X」までという、現存する文字板の99%以上を発表し、ポリネシア地域の文化研究機関、C.E.I.P.P.(Centre d'Etudes sur l'île de Pâques et la Polynésie)はその内の97%が正確であると算出した。バルテルによるテキストの図は手書きによるものではなく、「拓本」(文字板の上に紙を置き、その上を鉛筆などで擦って絵文字を浮かび上がらせる方法)であったため、実物に忠実なものとなったのである[12]

フィッシャーも1997年、新たなテキストの図版を公刊した。その中には「文字板 N」のように、バルテルのものには見られなかった、非常に細かい線(黒曜石で刻まれ、サメの歯で刻まれ直していない線。後述の書記道具参照)まで描かれているものもある(しかし、後述書記道具にある「Gv4」については、両者の図それぞれに細かい線が見られる)。また、バルテルのものには Ca6 から Ca7 の行の変わり目にある、一続きの絵文字が写っていないが、これはおそらく絵文字の刻まれている場所が文字板の側面にあたっていたため、バルテルがその部分の写しを取りそこなったのであろう[独自研究?]。また、単純に両者が食い違っている例もある。例えば、フィッシャーの著書(1997:451)における I12 (「サンティアゴ杖」の12行目)の最初の絵文字は、バルテルの記録した絵文字や[13]、フィリッピが1875年に発表したものとは異なっている。資料の複写は不正確な部分がかなりあり、高度な写真技術が不足していたため、これまで適切な検証がなされてこなかった[14]


注釈

  1. ^ 木製のレプリカがイースター島の主都ハンガ・ロアのゼバスティアン・エングレルト神父人類学博物館 に所蔵されている。
  2. ^ ジャン=フランソワ・シャンポリオンロゼッタ・ストーンの解読とヒエログリフの解析で快挙を成し、一大センセーションを巻き起こしたのが1822年。
  3. ^ a b ドイツ出身でイースター島に居住した神父、言語学者のゼバスティアン・エングレルト (Sebastian Englert) がロンゴロンゴをこのように訳しており("recitar, declamar, leer cantando" <to recite, declaim, read chanting>)、「タンガタ・ロンゴロンゴ」(tangata rogorogo = ロンゴロンゴ男)を「コハウ・ロンゴロンゴ(詠唱の絵文字を記した板)を読むことが出来る男」と説明している。ロンゴロンゴは「伝言、命令、知らせ」を意味する rongo畳語であり、tangata rongo は「伝令者」の意である。
    また、「コハウ」Kohau は「板の上に線 (hau) で書かれた絵文字、あるいは棒状の書記道具」とされている。
    ラパ・ヌイ語の rongo /ɾoŋo/同根語は、 マレー語dengar /dəŋar/フィジー語rogoca /roŋoða/ハワイ語lono /lono/等、他の多くのオーストロネシア語族の言語に見られ、いずれも「聞く」などの意味を有する。
  4. ^ Merton D. Simpson Gallery収蔵
  5. ^ a b 例えば、スイスの人類学者アルフレッド・メトロー(Alfred Métraux)は1938年、「文字板 V」について、「本物であるか疑わしい。絵文字は金属製の道具で刻まれたとみえ、本物の文字板の特徴である、絵文字の輪郭の規則性や美しさが見られない。」と述べている。1880年代には、文字板の模造品が旅行者の土産品として製作されていた。
  6. ^ これはおそらく、サンクトペテルブルクの博物館で моаи папа(翻字:moai papa) というラベルとともに所蔵されている、「モアイ・パアパア」の像(mo‘ai pa‘apa‘a, Catalog # 402-1)のことを指しているのであろう。
  7. ^ もし、ロンゴロンゴが純粋な音節文字であるなら、ラパ・ヌイ語を表記するのに必要な文字数は、母音の長短を区別しない、あるいは長母音を二重母音として扱った場合、55種類である[10]
  8. ^ バルテルはこの方法を実際に試しており、ベルギーのフランソワ・デドラン(François Dederen)は、1993年に同じ方法でいくつかの文字板を複製している。フィッシャーは次のように述べている[23]

    「サンクトペテルブルク大文字板([P]r3)」では、…鳥の嘴が黒曜石の薄片で刻まれた跡を確認できるが、書記が上から清書する際により丸い形に直されている。…なぜなら、書記は清書の際にはサメの歯でできた別の道具で刻んでいるからである。「サンクトペテルブルク大文字板 [文字板 P]」には、清書の際に少し形を変えて刻まれた絵文字の例が多く見られる。 ロンゴロンゴの絵文字は、「物の輪郭を描いた絵文字」("contour script") であり、輪郭の中、あるいは外には、様々な線や、円、斜線、点が加えられている[24]、…しばしば、そのような絵文字の輪郭以外の部分が、サメの歯で清書されずに、黒曜石で刻まれた細かい線の下書のまま残されている例がある。このような例はとくに、「ウィーン小文字板(文字板 N)」ではっきりと認められる。

  9. ^ 一方ニワトリは、イースター島でも主な流通品のひとつであり、文字板の中には、首長が何人殺して、何羽のニワトリを盗んだのかを記念したものと推定されているものがあるにもかかわらず、ニワトリを描いたと思われる絵文字は見つかっていない[27]
  10. ^ 「通常の炭素年代法で得られた結果は… 80 ±40 BP で、2-シグマ修正による年代は(95%の可能性)、Cal AD 1680からCal AD 1740の間(Cal BP 270から200)、Cal AD 1800から1930(Cal BP 150から20)、そして AD 1950から1960(Cal BP 0 から 0)であった; 実際、この文字板は1871年に収集されたものであるため、それより後の測定年代は誤りである。」"
  11. ^ 「ママリ」の木は幅19.6 cmで、外側の円周部に白木質を含んでいる。そのような幹の直径の特徴は、最大で高さが15 mになるPacific rosewoodの幹の特徴と一致する。
  12. ^ Dans toutes les cases on trouve des tablettes de bois ou des bâtons couverts de plusieurs espèces de caractères hiéroglyphiques: ce sont des figures d'animaux inconnues dans l'île, que les indigènes tracent au moyen de pierres tranchantes. Chaque figure a son nom; mais le peu de cas qu'ils font de ces tablettes m'incline à penser que ces caractères, restes d'une écriture primitive, sont pour eux maintenant un usage qu'ils conservent sans en chercher le sens.
  13. ^ メトローは、「現在の島の先住民456人は全員、1872年にフランスの宣教師達が島を離れた後に残っていた住民111人の子孫である」と述べている[38]。しかし、イギリスの人類学者キャサリン・ルートリッジ(Katherine Routlegde)は、ルーセル神父が島から避難した1871年に、島に残っていた住民の数は171人で、ほとんどが老人であったとしている[39]。また、アメリカ海軍の軍医でイースター島を訪問したジョージ・H・クーク(Geroge H. Cooke)は、1878年に約300人の人々が島から避難し、「イギリス海軍の軍艦サッフォー(H. M. S. Sappho)が1878年、イースター島に到着した際に島に残っていた住人の数は150人であった。」と記している。その中でクークは1886年に受け取った島全土の人口調査の要約を記載しており、それによると先住民が155人、外国人が11人となっている[28]
  14. ^ バルテルは、「その形状、大きさ、置かれていた状況から、これらはここで2度行われた埋葬の際に、奉納された文字板であるとかなりの高い確率で言うことができる。」と述べている[40]
  15. ^ しかし、ロシアの研究者イゴール・ポズドニアコフ(Igor Pozdniakov)とコンスタンティン・ポズドニアコフ(Konstantin Pozdniakov)は2007年、テキストのパターンの数に限りがあり、繰り返しが多い点から、歴史や神話のような複雑な内容の記録であることはありえない、という考えを示した。

出典

  1. ^ a b Englert 1993[要ページ番号]
  2. ^ Barthel June 1958:66
  3. ^ Fischer 1997:667
  4. ^ Fischer 1997:ix
  5. ^ Fischer 1997[要ページ番号]
  6. ^ Fischer 1997:534
  7. ^ Fischer 1997:543
  8. ^ バルテルの絵文字の分類方法の解説”. www.rongorongo.org. 2008年6月9日閲覧。
  9. ^ Pozdniakov 1996:294
  10. ^ Macri 1995
  11. ^ Pozdniakov and Pozdniakov 2007[要ページ番号]
  12. ^ Guy 2000[要ページ番号]
  13. ^ 1958: Appendix
  14. ^ Guy 1998a
  15. ^ Fischer 1997:382
  16. ^ Fischer 1997:483
  17. ^ Fischer 1997:497
  18. ^ Fischer 1997:382–383
  19. ^ Barthel 1971:1168
  20. ^ Fischer 1997:386
  21. ^ Fischer 1997:353
  22. ^ Métraux 1940:404
  23. ^ 1997:389–390
  24. ^ Barthel 1955:360
  25. ^ Fischer 1997:501
  26. ^ Guy 2006[要ページ番号]
  27. ^ Routledge 1919:251
  28. ^ a b Cooke 1899:712
  29. ^ Englert 1970:149–153
  30. ^ a b Orliac 2005[要ページ番号]
  31. ^ Flenley and Bahn 1992:172
  32. ^ Bahn 1996[要ページ番号]
  33. ^ Lee 1992[要ページ番号]
  34. ^ a b 参照。その他、ロンゴロンゴの絵文字と似たペトログリフの例をここや、ここで見ることができる。
  35. ^ Macri 1995[要ページ番号]
  36. ^ Fischer 1997:21–24
  37. ^ Routledge 1919:207
  38. ^ Métraux 1940:3
  39. ^ Routlegde 1919:208
  40. ^ Barthel 1997:526
  41. ^ Barthel 1959:162–163
  42. ^ Fischer 1997:Appendices
  43. ^ Routledge 1919:253–254
  44. ^ Englert 1970:80
  45. ^ Comrie et al. 1996:100
  46. ^ Pozdniakov and Pozdniakov, 2007





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロンゴロンゴ」の関連用語

ロンゴロンゴのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロンゴロンゴのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロンゴロンゴ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS