ラリージャパン ラリージャパンの概要

ラリージャパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 14:15 UTC 版)

2006年

主催は日本自動車連盟(JAF)に登録しているモータースポーツクラブのうち「公認クラブ」の資格を有するクラブ(開催格式が最上級の「国際格式」のため)である。

変遷

開催に至る経緯

日本の自動車メーカーの海外ラリー挑戦の歴史は長く、アフリカのサファリラリーやオーストラリアのサザンクロスラリーなどで好成績を残してきた。しかし、公道を長距離走行し、占有区間(スペシャルステージ)でタイムトライアルを行う国際格式のラリーを日本国内で行うためには、車検制度や道路使用許可、安全対策、地域住民の理解など、課題が多かった。

1990年代に入り、WRCでトヨタスバル三菱日本車が全盛期を迎えた頃、広大な自然が広がる北海道でWRC招致運動が立ち上がる。AGメンバーズスポーツクラブ北海道[1](AGMSC北海道、田畑邦博代表)が母体となり、1990年に運営企画会社プランニングフォーを設立[2]。「十勝24時間レース」の共催実績を積んで1999年に日本自動車連盟 (JAF) 公認クラブとなり、毎日新聞社の後援を得て、2001年に国際自動車連盟 (FIA) 公認の「インターナショナルラリーイン北海道」を開催した[2]。2002年はアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の一戦に昇格し、「ラリー北海道」と改称。FIAへのロビー活動と、地元と連携した受け入れ準備が実を結び、2004年のラリー・ジャパン初開催が決定した[3]

十勝開催

2006年

2004年~2007年にかけては北海道十勝地方で行われた。名称は2005年まで「ラリー・ジャパン」、2006年以降は「ラリージャパン」と表記される[4]。第2回(2005年)よりプロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC) が併催された。なお、ラリー北海道は同年よりアジアパシフィックラリー選手権(APRC)の一戦として、ラリージャパンとは別に開催されている。

ヘッドクオーター及びサービスパーク(北愛国)は帯広市に設置され、帯広市、陸別町足寄町新得町にスペシャルステージ(SS)が設定された。陸別町では、陸別サーキットのダートコースがSSの一部となった。2005年までは、幕別町札内川河川敷に観戦スタンドを備えた特設コースが建設され、スーパーSSが行われていたが、2006年は北愛国サービスパークに隣接された。国立・国定公園に隣接した林道でのラリーに対して、自然保護団体等からは抗議・反対の声もあがった[5]

コース名は標準的な日本語ではなく、北海道古来のアイヌ語の地名によって名づけられていることも特徴の一つである。スペシャルステージは非常に道幅が狭く低速なステージが多いが、道幅の広い高速コースもある。路面状況は砂や砂利が多く、非常にルーズな路面も多いためニュージーランドグレートブリテン(イギリス)に似ているとも言われている。中でも足寄町で行われるSSの一つ、パウセカムイ観戦エリアBは北海道らしい雄大な牧草地帯を走り抜けるところを観戦できるため、人気の観戦ポイントとなっていた。

初開催となった2004年は道内外と海外からのべ21万人が訪れ[6]、2回目となる2005年も20万人が観戦した[7]。また、帯広市内中心部で開催されるセレモニアルスタートにも毎年約5万人が訪れ、帯広市としては市制始まって以来の年に一度の大イベントとなっていた。SSは安全のため観客が立ち入るエリアが制限されており、SS間のロードセクション(移動区間)の沿道に熱心なギャラリーの列ができるという光景が海外のクルーたちを驚かせた。

ただし、2005年大会の終了後、ラリー北海道時代から支援を続けてきた毎日新聞が多額の経費負担を理由に撤退し、財政面の後ろ盾を失った。また、帯広市周辺の宿泊施設のキャパシティを大きく上回る関係者・観戦客の数により毎年宿泊施設不足に悩まされていたことなどに加え、ロードセクションの距離が長く、競技車両が渋滞に巻き込まれタイムコントロールに遅刻するケースがしばしば発生し、参加者から改善を求められていた。

道央開催

札幌ドーム内のスーパーSS(2008年)

2008年からはこれらの問題を一挙に解決すべく、開催地が道央地方に移された。拠点は、札幌市では大都市過ぎ、競技車両渋滞や事故等の恐れがあるため、千歳市岩見沢市辺りが有力と思われていたが[8]、最終的には札幌市に決まった。

札幌ドームにヘッドクォーター・サービスパーク・メディアセンターが集約され、ドーム内にスーパーSS(2台同時タイムアタック)用の特設ステージが用意された(屋内でのスーパーSS実施はWRC初[9])。札幌ドームではプロ野球パ・リーグクライマックスシリーズと日程が重なる可能性があることから、日程を変更したとされる[10]。SSは札幌のほか千歳市、苫小牧市恵庭市夕張市美唄市、岩見沢市、三笠市の8市にまたがるが[11]、リエゾン区間に高速道路を利用するなど、全体的にコンパクトな開催形態を目指した。新千歳には「新千歳モーターランド」のダート・オフロードコースを利用した観戦ステージが設けられた[12]。また、初めてパイオニア・カロッツェリア冠スポンサーに付くなど、財政面でも黒字化を目指すとしていた。

初開催の2008年は十勝開催時の3倍相当のチケット販売を記録したが、一部のSSでギャラリーポイントからコースが見えないという問題が発生した[9]。地域密着型だった十勝開催に比べると、大都市の札幌ではお祭り的な歓迎ムードは薄まっていた。同年末にはリーマンショックの余波でスバルとスズキがWRCからの撤退を表明したため、以後は日本の自動車メーカーの協力を受けられなくなった。

WRC開催地のローテーション制により2009年は開催されず、2010年に2回目の道央開催が行われた。この年はWRCに転向した2007年F1チャンピオン、キミ・ライコネンの参戦という話題があり、「ショッピングモールでファンとカート対決」というイベントが催された[13]

2011年に関して、FIAから開催申請料とは別にトラッキングシステムなどの使用料などで、100万ユーロ(当時の為替で1億3000万円)の追加費用が必要であると提示され、主催者はスポンサーなどの資金面から開催継続を断念した[14]。2012年に向けてカレンダー登録申請を行う[15]という話はあったものの東日本大震災などの影響などから実現せず、当時の主催クラブは継続開催を断念し、北海道での開催は2010年が最後となった。

中部開催

2010年以後ラリージャパンは中断し、しばらく空白期間が生じた。しかし、2017年にトヨタがWRCに復帰し、再び関心度が高まる中で、トヨタの地元であり、全日本ラリー選手権 (JRC) の新城ラリーを開催してきた中部地方でラリージャパンを復活させようという機運が高まる。2018年1月に招致委員会が発足し、トヨタ・モータースポーツ・クラブ(TMSC、舘信秀会長)を主催団体、株式会社サンズ[注 1]を運営母体として事務局を同社内に設置し、招致活動を展開[16]。WRCプロモーターと契約して「2019年開催は当確」とみられたが、FIA総会でまさかの落選を喫し[17]、翌年再挑戦を経て2019年のFIAワールドスポーツカウンシルにて2020年の開催が決定した[18][19]

しかし、新型コロナウィルス感染症拡大の影響により2020年の開催は中止となった[20]。2021年もシーズン最終戦としてカレンダー入りしたが、長引くコロナ禍により2年続けて開催中止が決定した[21]。2022年はイベント開催制限や海外からの入国制限などのコロナ対策が緩和され、シーズン最終戦として開催される運びとなった[22]。7月末に発売されたSS観戦チケットは即日完売[23]、追加販売分も完売となった。

愛知県(岡崎市豊田市新城市設楽町)と岐阜県中津川市恵那市)の6市町において、山間部でターマック(舗装路)イベントとして開催される。2019年からテストイベントとして開催された「セントラルラリー愛知・岐阜」のルートも含まれる。また、鞍ケ池公園内のナイトステージや、乙川河川敷のスーパースペシャルステージ (SSS) も設定された。豊田市のスカイホール豊田に大会本部、豊田スタジアムにサービスパークが置かれる[注 2]。2021年より冠スポンサーにフォーラムエイトが就任し、大会名称は「フォーラムエイト・ラリージャパン」となる[24]

2023年も連続開催が決定し、TMSCとNPO法人M.O.S.C.O.[注 3]と豊田市の三者が主催者となる[25]地方自治体がモータースポーツの主催者となるのは全国初[26])。札幌ドーム以来となる屋内スーパースペシャルステージ (SSS) を豊田スタジアム内に設置する予定である[27]

開催年表

2001年
「インターナショナルラリーイン北海道」として十勝地方で初開催。日本国内で開催される国際格式ラリーとしては同年5月に群馬県等で開催された日本アルペンラリーに続いて二度目であった。
2002年
2年目より「ラリー北海道」と改称し、FIAアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の一戦に昇格。
2003年10月
10月、パリで行われたFIA世界モータースポーツ評議会 (WMSC) 総会で2004年からのカレンダー入りが決定。日本でのWRC開催の悲願を果たす。
2004年
WRCラリージャパンとして初開催、特例としてAPRCも併催。初代勝者はペター・ソルベルグ(スバル)。0カードライバーは前年引退したトミ・マキネンが勤めた。
2005年
第2回開催、この年以降、ラリー北海道は別開催となる。SS25まで首位を独走して2連勝を決めるかと思われていたペター・ソルベルグがコース上に落ちていた岩にヒットしてコースアウトしリタイヤする。勝者はマーカス・グロンホルム(プジョー)。2位フィニッシュのセバスチャン・ローブ(シトロエン)が2年連続の年間ドライバーズチャンピオンに輝く。
前戦ラリー・グレートブリテンで事故死したマイケル・パークに対する追悼の意を込め、各ワークス車両にはパークの在りし日の画像やヘルメットを模ったステッカー、メッセージなどが貼られた。ポディウムの記念撮影では「BEEF WITH US FOREVER(ビーフ、君と私達はずっと一緒だ)」という、「ビーフ」の愛称で親しまれたパークへのメッセージを掲げた。
プロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC) が併催され、新井敏弘(スバル)が優勝。
2006年
第3回開催、セバスチャン・ローブ(シトロエン)がグロンホルム(フォード)との接戦を逃げ切りラリージャパン初優勝。WRC勝利数を27勝としてカルロス・サインツの26勝を抜きWRC最多勝利数記録を更新した。
併催のPWRCは奴田原文雄(三菱)が優勝。
2007年 
第4回開催、ポイント首位グロンホルムのリタイアに続いて、ローブもペースノートの読み違いでクラッシュ。エース自滅の大混戦をミッコ・ヒルボネン(フォード)が制して優勝。
併催のPWRCはガブリエル・ポッゾ(三菱)が優勝した。グループNでは田口勝彦(三菱)が優勝。
2008年
第5回開催、札幌市を中心とした道央に移動。雨や雪の影響で路面状況はヘビーウェット。DAY1でフランソワ・デュバル(フォード)がクラッシュし、コ・ドライバーのパトリック・ピバト(フランス)が重傷を負い、SSのキャンセルが発生した。ミッコ・ヒルボネン(フォード)が2連覇を果たし、3位入賞したローブ(シトロエン)がWRC初の5連覇を達成した。
併催のPWRCはユホ・ハンニネン(三菱)が、それまで首位だった最若手のエフゲニー・ノビコフ(三菱)の最終SSでのトラブルにより逆転優勝。3位は日本人最上位の新井敏弘(スバル)。
2009年
WRCのカレンダーを取り仕切るWMSC総会にて、2009年と2010年のイベントは年間12戦とし、かつ隔年開催とした。その結果、日本は2010年の開催となり、2009年はWRCとしては開催されなくなる事が決定した。その後、インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) として開催される方針が明らかにされ、10月22日24日での開催が計画されたが、結局2009年4月に同年の開催を断念することとなった。
2010年
第6回開催、2日目まで首位のペター・ソルベルグ(シトロエン)を逆転し、セバスチャン・オジェ(シトロエン)が優勝。F1元王者のキミ・ライコネン(シトロエン)はリタイア。
併催のPWRCはパトリック・フローディン(スバル)が優勝。
2018年
ラリージャパン復活を目指して1月に招致準備委員会が発足。2019年の開催は確実視されたが、土壇場で落選[28]。招致活動を継続し、11月の新城ラリーをキャンディデートイベントとしてFIA関係者が視察[29]
2019年
9月27日、WMSCにて2020年開催が正式決定。11月9日〜10日にテストイベント「セントラルラリー愛知/岐阜2019」を開催[30]
2020・2021年
新型コロナウイルス感染症の影響により、2年連続で開催中止。2021年11月に代替イベントとして「フォーラムエイト・セントラルラリー2021」を開催[31]
2022年
本州の愛知・岐阜エリアに舞台を移し、12年ぶりに第7回を開催。ティエリー・ヌービルオィット・タナックヒョンデ勢がワンツーフィニッシュ。勝田貴元がラリージャパン初の日本人3位表彰台を獲得[32]
2023年
第8回開催、エルフィン・エバンスセバスチャン・オジェカッレ・ロバンペラトヨタ勢が表彰台を独占した。

注釈

  1. ^ 自動車関連誌を出版する三栄書房のグループ企業[1]
  2. ^ 2020年の計画では長久手市愛・地球博記念公園(モリコロパーク)に大会本部とサービスパークを置く予定だったが、ジブリパークの建設工事開始にともない変更された。また、2021年の計画では名古屋市内でセレモニアルスタート、モリコロパークでシーズン表彰式が行われる予定だったが、2022年は豊田スタジアムへ集約された。
  3. ^ セントラルラリーのほか、全日本ラリー選手権のラリーオブ嬬恋やモントレーなどの運営に携わるJAF加盟団体。2021年よりラリージャパンの主催者に加わった[2]

出典

  1. ^ JAF加盟クラブ「AG.メンバーズスポーツクラブ北海道」の紹介 ”. JAFご当地情報 (2016年3月25日). 2019年9月27日閲覧。
  2. ^ a b 『RALLY PLUS特別編集 WRCラリージャパンの軌跡』、ニューズムック、2019年、54-55頁。
  3. ^ WRCが日本で開催、ルール大変更も発表”. WebCG (2003年9月11日). 2019年9月28日閲覧。
  4. ^ THE WRC CHRONICLE Vol.4 日本におけるWRC開催の歴史”. TOYOTA GAZOO Racing (2019年1月10日). 2019年10月23日閲覧。
  5. ^ WRC・ラリー問題 十勝自然保護協会
  6. ^ "三菱ランサーエボリューション18台が完走 日本期待の奴田原文雄と田口勝彦は惜しくも第3レグでリタイヤ". 三菱自動車.(2004年9月5日)2014年3月25日閲覧。
  7. ^ "Rd.11 Rally Japan 事前情報". SUBARUモータースポーツ.(2006年8月25日)2014年3月25日閲覧。
  8. ^ ラリージャパン 道央開催固まる 十勝から撤退へ 北海道新聞
  9. ^ a b 『WRC PLUS 2008年 Vol.07』、イデア、2008年、15-16頁。
  10. ^ 2008年WRCラリージャパンの開催日を変更 ラリージャパン公式HP
  11. ^ "ラリージャパン、夕張・札幌など開催 10月末". asahi.com.(2008年7月26日)2013年12月5日閲覧。
  12. ^ 笠井美史乃 "今年のラリージャパンはどう進化? 競技コースと観戦エリアを発表". マイナビニュース.(2008年7月23日)2013年12月5日閲覧。
  13. ^ 【ラリージャパン2010】レッドブル、「Red Bull Raikkonen Challenge」を開催”. Car Watch (2010年9月7日). 2019年9月28日閲覧。
  14. ^ 『RALLY PLUS特別編集 WRCラリージャパンの軌跡』、ニューズムック、2019年、57頁。
  15. ^ ラリージャパン、2012年に復活か!?”. RALLY PLUS.NET (2011年3月4日). 2019年9月28日閲覧。
  16. ^ WRC日本開催、2019年11月の開催に向けて招致委員会が発足。開催地はトヨタのお膝元、愛知、岐阜で調整中 ”. autosport web (2018年1月12日). 2019年9月27日閲覧。
  17. ^ 岡本ゆかり “「2019年ラリー・ジャパン」はなぜ消えたのか?”. 日経ビジネス (2019年1月9日). 2019年9月27日閲覧。
  18. ^ 10年ぶりにラリー・ジャパン復活。2020年のWRCカレンダーに日本が名を連ねる”. autosport web (2019年9月27日). 2019年9月27日閲覧。
  19. ^ 【速報】10年ぶりにWRCが日本へ帰ってくる!!! WRC日本2020年開催決定!!”. ベストカーWeb (2019年9月27日). 2019年9月27日閲覧。
  20. ^ “開催中止のラリージャパン「判断根拠は国外から来日できる目処が立たないこと」”. ラリープラス.net. (2020年8月21日). https://www.rallyplus.net/72071 2022年9月21日閲覧。 
  21. ^ “ラリージャパン、コロナ禍の影響で2年続けて中止に。実行委員会が開催を断念/WRC”. autosport web. (2021年9月7日). https://www.as-web.jp/rally/736728?all 2022年9月21日閲覧。 
  22. ^ “愛知・岐阜で開催のWRCラリージャパン2022、競技スケジュールが発表。チケット詳細も”. autosport web. (2022年7月15日). https://www.as-web.jp/rally/838247?all 2022年9月21日閲覧。 
  23. ^ “ラリージャパンのSS観戦チケットは早々に完売、宿泊プランはわずかに枠あり”. ラリープラス.net. (2022年8月1日). https://www.rallyplus.net/88831 2022年9月21日閲覧。 
  24. ^ FORUM8 Rally Japan タイトルパートナーに決定! ~FIA世界ラリー選手権 フォーラムエイト・ラリージャパン2021をメインスポンサーとして応援~』(プレスリリース)フォーラムエイト、2021年5月25日https://www.forum8.co.jp/forum8/press/press210525.htm2022年9月21日閲覧 
  25. ^ 豊田市主催「ラリージャパン2023」の開催決定!実行委員会の設立及び大会公式ロゴマークの公表について』(プレスリリース)PR TIMES、2022年11月26日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000110999.html2022年11月27日閲覧 
  26. ^ 2023年以降のWRCラリージャパン、豊田市が主催者となり開催を推進。補正予算案を市議会に提出の方針”. webモーターマガジン (2021年11月26日). 2022年11月27日閲覧。
  27. ^ 豊田スタジアム競技場内でのSS実施も計画。WRCラリージャパン2023開催概要が発表”. autosport web (2023年3月3日). 2023年4月15日閲覧。
  28. ^ ラリー・ジャパン復活ならず。WRCの2019年開催カレンダー発表”. motorsport.com (2018年10月13日). 2019年月日閲覧。
  29. ^ WRCキャンディデートとして開催、新城ラリーで見えた”ラリー・ジャパン”の課題”. motorsport.com (2018年11月8日). 2019年9月27日閲覧。
  30. ^ ラリー・ジャパン見据えたセントラル・ラリー閉幕。勝田「びっくりするくらいお客さんがいてくれた」”. autosport web (2019年11月10日). 2019年11月13日閲覧。
  31. ^ セントラルラリー:勝田範彦が初日の差を活かして優勝、全日本と通算で5戦負けなしの強さ”. ラリープラス (2021年11月15日). 2022年11月13日閲覧。
  32. ^ 勝田貴元がWRCラリージャパンで3位表彰台獲得。優勝はヌービル、ヒョンデ勢が1-2フィニッシュ”. autosport web (2022年11月13日). 2022年11月13日閲覧。
  33. ^ 2005 FIA RALLY JAPAN”. SUZUKI MOTORSPORT (2005). 2019年9月28日閲覧。


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