ヤマトタケル
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墓
墓は、宮内庁により次の3ヶ所に治定されている[13](能褒野墓に白鳥2陵を付属)。
- 能褒野墓(のぼののはか、三重県亀山市田村町、北緯34度53分4.36秒 東経136度28分55.09秒 / 北緯34.8845444度 東経136.4819694度)
- 白鳥陵(しらとりのみささぎ、奈良県御所市富田、北緯34度26分43.92秒 東経135度45分1.25秒 / 北緯34.4455333度 東経135.7503472度)
- 白鳥陵(しらとりのみささぎ、大阪府羽曳野市軽里、北緯34度33分4.61秒 東経135度36分14.00秒 / 北緯34.5512806度 東経135.6038889度)
古典史料の記述
地域 | 日本書紀 | 古事記 | 延喜式 | 現在の治定 |
---|---|---|---|---|
伊勢 | 能褒野陵 | 能煩野に陵 | 能裒野墓 | 能褒野墓 |
大和 | 琴弾原に陵 | (記載なし) | (記載なし) | 白鳥陵 |
河内 | 旧市邑に陵 | 志幾に陵 (白鳥御陵) |
(記載なし) | 白鳥陵 |
備考 | 3陵の総称として 「白鳥陵」とする |
ヤマトタケルの埋葬について、『日本書紀』・『古事記』・『延喜式』に見える記述は次の通り。
通常「陵」の字は天皇・皇后・太皇太后・皇太后の墓、「墓」の字はその他皇族の墓に使用されるが、『日本書紀』や『古事記』で「陵」と見えるのはヤマトタケルが天皇に準ずると位置づけられたことによる[1](現在は能褒野のみ「墓」の表記)。
ヤマトタケルの実在性が低いとする論者からは、ヤマトタケルの墓はヤマトタケル伝説の創出に伴って創出されたとする説を唱えている[16]。確かな史料の上では、持統天皇5年(691年)[原 9]において有功の王の墓には3戸の守衛戸を設けるとする詔が見えることから、この頃に『日本書紀』・『古事記』の編纂と並行して、『帝紀』や『旧辞』に基づいた墓の指定の動きがあったと推測する説がある[16]。またその際には、日本武尊墓(伊勢)・彦五瀬命墓(紀伊)・五十瓊敷入彦命墓(和泉)・菟道稚郎子墓(山城)をして大和国の四至を形成する意図があったとする説もある[20]。一方、ヤマトタケルの実在を認める論者からは、ヤマトタケルが活動した年代や築造後すぐに管理が放棄されていることなどから、現允恭天皇陵に治定されている津堂城山古墳を真陵と見る説が唱えられている[21]。また、景行天皇の治世を4世紀後半とする立場からは、能褒野王塚古墳は同時期に築造されてなおかつ伊勢地方にあるに関わらず、王族の陵墓の特徴である三段築成が後円部にみられることから、4世紀後半にヤマト王権の東方への勢力拡大に貢献した「ヤマトタケルノミコト的王族」(伝説のモデルとなる王族)がこの地で亡くなって葬られた可能性があるとする説が唱えられている[22]。その後、大宝2年(702年)[原 10]には「震倭建命墓。遣使祭之」と見え、鳴動(落雷[23]、別説に地震[24])のあったヤマトタケルの墓(能褒野墓か)に使いが遣わされている[16]。さらに『大宝令』官員令の別記(付属法令)[原 11]には、伊勢国に借墓守3戸の設置が記されており、8世紀初頭には「能裒野墓」が諸陵司の管轄下にあったと見られている[16]。その後、前述の『延喜式』では白鳥三陵のうち「能裒野墓」のみが記載され、10世紀前半頃までの管理・祭祀の継続が認められる[16]。
後世の治定
上記の記述の一方、後世には墓の所伝は失われ所在不明となった。能褒野墓・大和白鳥陵・河内白鳥陵それぞれに関して、治定されるに至った経緯は次の通り。
- 伊勢の能褒野墓
- 近世には白鳥塚(鈴鹿市石薬師町)・武備塚(鈴鹿市長沢町)・双子塚(鈴鹿市長沢町)の3説があり、明治9年(1876年)までには教部省により白鳥塚に定められたが、明治12年(1879年)に宮内省(現・宮内庁)により3説のいずれでもない現墓の丁子塚(能褒野王塚古墳)に改定された[16]。詳細は「能褒野王塚古墳」を参照。
- なお「のぼの(能褒野/能煩野/能裒野)」とは、鈴鹿山脈の野登山(ののぼりやま)山麓を指す地名と推測される[1][16]。この「のぼの」の地が選ばれた背景としては、化身の白鳥が「天空にのぼった」という物語が既に存在し、後世にその物語への付会として「のぼの」の地名が結び付けられたとする説が挙げられている[16]。
- 大和の白鳥陵
- 河内の白鳥陵
注釈
- ^ 宮内庁治定墓(能褒野墓・大和白鳥陵・河内白鳥陵)での公式表記、および『国史大辞典』(吉川弘文館)の項目名、『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)の項目名、『日本人名大辞典』(講談社)の項目名において、「日本武尊」の用字が採用される。
- ^ 『古事記』景行天皇段には景行天皇が娶ったとあるが、明らかに不合理である。応神天皇段には応神天皇が娶ったとあり、こちらは無理がない。二人の迦具漏比売を同名の別人とすれば筋は通る。また祖父は倭建命の子の若建王ではなく、『古事記』で景行天皇の后・伊那毘能大郎女とその妹・伊那毘能若郎女の父とされる若建吉備津日子であり、父は大郎女の弟で若郎女の兄だった可能性が考えられる。この場合、父の名前が須売伊呂で兄とも弟とも書かない理由が説明できる。
原典
- ^ 『日本三代実録』貞観3年(861年)11月11日条。
- ^ 『新撰姓氏録』和泉国皇別 和気公条、和泉国皇別 聟本条。
- ^ 『釈日本紀』巻7 草薙劔条所引『尾張国風土記』逸文。
- ^ 『常陸国風土記』序文、信太郡条、茨城郡条、行方郡条、香島郡条、久慈郡条。
- ^ 『常陸国風土記』久慈郡条、多珂郡条。
- ^ 『万葉集註釈』巻7所引『阿波国風土記』逸文。
- ^ 『日本書紀』仁徳天皇60年10月条。
- ^ 『延喜式』巻21(治部省)諸陵寮条。
- ^ 『日本書紀』持統天皇5年(691年)10月乙巳(8日)条。
- ^ 『続日本紀』大宝2年(702年)八月癸卯(8日)条。
- ^ 『令集解』巻2(職員令)諸陵司 諸陵及陵戸名籍事条所引『別記』逸文。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、pp. 340-397。
- ^ a b c d e 『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 212-239。
- ^ 日本武尊(国史).
- ^ a b 中村啓信 『新版古事記』角川学芸出版[角川ソフィア文庫]、2009年、ISBN 978-4-04-400104-9。
- ^ 音川安親 1880.
- ^ a b 吉井巌 『ヤマトタケル』学生社 1977年、2004年OD版、ISBN 4311201141
- ^ 井上光貞 『日本の歴史〈1〉神話から歴史へ』中央公論新社[中公文庫]、新版2005年、ISBN 4122045479
- ^ 荊木美行「景行天皇朝の征討伝承をめぐって」『日本書紀の成立と史料性』燃焼社、2022年、174-176頁。(原論文:『萬葉集研究』第37冊、塙書房、2020年)
- ^ 岩波書店日本古典文学大系本『古事記』、『日本書紀』による。
- ^ 先代舊事本紀卷第七 天皇本紀
- ^ 「大御葬歌」は昭和天皇の大喪の礼でも詠われた。実際はモガリの宮(死者を埋葬の前に一定期間祭って置くところ)での再生を願ったり、魂を慕う様子を詠った歌だと思われる。
- ^ 当時の白鳥は現在のハクチョウ以外にも、白鷺など白い鳥全般を指した。
- ^ 『宮内庁書陵部陵墓地形図集成』 学生社、1999年、巻末の「歴代順陵墓等一覧」表。
- ^ a b c d e f 白鳥陵(国史).
- ^ a b c 「白鳥陵」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』 平凡社、1981年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「通史編 第3章第1節 ヤマトタケル伝承と鈴鹿地域」『亀山市史』(IT市史、亀山市歴史博物館)。
- ^ 亀山市史 通史編 第3章第1節.
- ^ 『新編日本古典文学全集 3 日本書紀 (2)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 66-67。
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- ^ 『北佐久口碑伝説集佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会全434中268P〜295P 昭和53年11月15日発行
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- ^ “ヤマトタケルは郷土の「偉人」 亀山市が民間の助成で漫画刊行:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年5月30日). 2023年9月9日閲覧。
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