ハウスキーパー (日本共産党) ハウスキーパー (日本共産党)の概要

ハウスキーパー (日本共産党)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 00:17 UTC 版)

概要

特に戦前において、日本共産党の男性活動家の世話、または同棲していた女性活動家や女性シンパ、を意味する言葉。非合法な共産党活動をする男性への世間の眼をごまかすために同棲者、実質的には妻同様の役目をする。「オルグ」「レポ(同党内で「連絡」の意)」のように党内用語であったが、外部にも伝わった。それ以前はマスメディアなど党外では、彼女らを「情婦」「内妻」「内縁」と呼んでたが、戦前中に党外にも伝わった。戦前の1933年に検挙された山下平次は「(日本共産党における)ハウスキーパー」とは逮捕後に何かを解説している。彼によると独身男性(一人暮らしの男性)は目立つこと、家を留守にすることが危険であること、警察などが来た際に時間稼ぎ役にすること、担当男性活動家が検挙された際に関係物品を処分する役目などを理由に男性党員が必要時に上層部に「請求」していたと明かした。同党では「レポーター(連絡員)」を兼任する「ハウスキーパー」は「セクレタリー(秘書の英語)」と呼んでいたこと、党内では「ハウスキーパーは家政婦、夫婦関係(偽装)はセクレタリー」との分類で呼ぶ人もいたと語っている。日本共産党員の福永操(女性党員)は、「妻」と呼ばれていても「ハウスキーパー」に過ぎない女性らが沢山いたと明かした。彼女は妻と呼ばれていてもハウスキーパーだった「婦人同志」らの名前を上げている[1]

戦後の日本共産党では、「いわゆるハウスキーパー」との表現が用いられる。戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、1958年に党の書記長に就任してから40年間日本共産党を指導した宮本顕治は、男性活動家の世話をする女性「いわゆるハウスキーパー」の存在、同棲や男女関係になるケースの存在、男性活動家側が無責任だった際に「ハウスキーパー」をしていた女性らに被害を与えたケースがあったことを1980年に認めている[2]

戦前には、一時期非合法活動に近い場面に身をおき、戦時中には、情報局の嘱託であった平野謙は、最初のハウスキーパーは、1928年9月から翌年4月まで山代吉宗と同居した田中ウタであろうと推定し、「革命運動のために若い男女が共同生活を送らざるを得ない特殊な実態があっただけ」とし、諸資料を挙げて、最初のハウスキーパーである田中ウタと山代吉宗には性的な関係はなかったことを明かしている。また「田中清玄は性的放縦に流れやすいハウスキーパー制度に対して、かなり厳しい規律を要求していた」とも述べている。他にも[宮本顕治の「日本共産党はハウスキーパーという制度というものをかつて採用したことはなかった。個々の党員が夫々(それぞれ)婦人党員と同居することは、その人達の自由であって、党は干渉しなかった。これらの党員が検挙されるとこれを様々な猟奇的歪曲によってセンセーショナルな報道をやった」 [3]を引いて、「私なりに素描してきたハウスキーパー制度の歴史の実情 [4]に即していない」と自己批判している。ただし、「宮本顕治のようなキレイゴトの原則論だけでは説明しきれないと思う」とも述べている[5]。実際、宮本顕治自身も「婦人の活動家がいわゆるハウスキーパーとなり、そこから同棲という男女関係になる場合もあった。それについての、とくに男性側の無責任な態度が一部にあった」[6]と認めている。

当時の報道機関の中には、この「ハウスキーパー」制度を取り上げ、“共産党による、党員やシンパの女性を食い物にする性奴隷制度である”と批判されている。例えば、ハウスキーパーという語自体は記述されていないものの共産党員の性関係を批判する記事は、前述する婦人朝日の記事から14年前には存在が確認できる。いわゆる左派的な思想家と考えられていた平塚らいてうも、婦人公論1933年3月号131頁より「女性共産党員とその性の利用」と題した記事において、

過日「東朝」神上で、女性共産党員たちが、党の資金調達のために、党資金局の指令をうけて、その性を売つた形跡のあるのを、女性としての自覚を全く欠くものとして抗議したのに対し、多くの識不識の同性のかたがたから共鳴の言葉を送られたのにはわたくし自身も意外とするほどした。(紹介にあたる部分を省略)これによつても共産党が、その運動に女性の「性」をああも露骨に、極端と利用したこと、そして婦人党員の幾人かがその犠牲となって踊らされたといふことは一般女性の本能的な憤激と憎悪とを買つたことが十分察せられるやうに思はれます。(一部漢字修正、省略部あり)

という言葉から始まる「党のために犠牲となった婦人党員たち自身の性思考について」が述べられており、「新時代の新しい型の男性奴隷」であるとし、「女性としてのはつきりした自覚をもち、女性の立場にしつかりと足を踏みしめて、社会運動に参加してほしいと思ひます」と締めくくっている。

「ハウスキーパー」については、純粋な気持ちで共産党活動に加わった若い女性が好きでもない男性活動家と生活させられ、嫌がる女性は「プチブル根性」と批判された構造にも批判がある[1]

前述の「ハウスキーパー」に批判的な女性党員、左派女性活動家ら、後述のように戦後も「ハウスキーパー」をしていたことへの後悔を明かした女性がいる一方で、宮本顕治の妻で同党の女性活動家である宮本百合子の評価は異なる。

宮本百合子の場合は、下記のように主張している。

(前略)小林多喜二の「党生活者」という小説が再版されるようになったが、その中に、その小説の主人公である青年闘士が女の同情者、そして愛人と同棲生活をして、困難を経てゆくことが書かれている。ある種の人々はそれについて共産党員の間にはハウスキーパーという一つの制度があって、自分達の便利のために女性をあらゆる意味で踏台にした、という批評をしている。今日、これは大変に不思議ないいかただと思う。

非合法であった時代に、警視庁が党生活にたいする逆宣伝として新聞に書きたてさせた、その言葉を、今日の知識人とか批評家とかいう人が、鵜呑みにして平気でそれをくりかえすのに驚ろかされる。

なぜなら、その人達はそういう事実を自分で一つも経験していないにもかかわらず、事実かどうかをきわめようとしていない。こういう社会的真実にたいする追求の怠慢は、知性そのものの不純潔性である。 — 宮本百合子「社会生活の純潔性」[7]

しかし、小坂多喜子(上野壮夫の妻)は、戦前の小林多喜二の遺体引取現場に同席していたが、その際に小林多喜二の「ハウスキーパー(若い女性)」の様子を目撃している。この際に、同党の「ハウスキーパー」制度について、「地下運動をする男性の、世間の眼をごまかすための同棲者、実質的には妻同様の役目をする。」「イデオロギーの便宜のための、そういう女性の役目に私は釈然としないものを感じるのだ。女としての立場から納得のいかない」と不快感を感じたと1973年に表明している[1][8]

戦後の「ハウスキーパー」

いわゆる「ハウスキーパー」と呼ばれる日本共産党の活動家男性を女性シンパや女性活動家が世話をする制度は戦後(1979年8月時点)も存在したとの証言があり、当事者の鈴木慶子は1979年8月に「本当に青春を棒にふったような気がします」「ハウスキーパーというのは、結局使い捨てということでしょうね」と嘆いている[9]


  1. ^ a b c 社会主義者における『性』と政治 日本の一九二〇三〇年代を中心として 石川捷治 年報政治学 日本政治学会 編 2003 161-177, 筑摩書房 p170-171
  2. ^ 『宮本顕治文芸評論選集』第1巻あとがき、新日本出版社、1980年11月
  3. ^ 宮本顕治『人民の文学』岩崎書店、1947年。初出誌未詳(書き下ろしの可能性あり)。
  4. ^ 平野謙「ハウスキーパー問題」「展望」1974年9月号
  5. ^ 平野謙「『リンチ共産党事件』の思い出」三一書房、1976年、82~86頁。
  6. ^ 『宮本顕治文芸評論選集』第1巻あとがき、新日本出版社、1980年11月。
  7. ^ 「社会生活の純潔性」『婦人朝日』1947年5月号(青空文庫)
  8. ^ ジェンダー平等を掲げる日本共産党にかつて存在していた「ハウスキーパー」という女性の役割 「目的のために手段をえらばぬ人間蔑視が平然と肯定されていた」佐藤優、プレジデントオンライン、2023/03/17
  9. ^ 『運動史研究』第4巻掲載「私は戦後のハウスキーパーだった」(鈴木慶子、聞き手=福永操、伊藤晃)、三一書房、1979年8月。
  10. ^ 田中ウタコトバンク
  11. ^ a b c d e 「政治と文学」論争 —『近代文学』の「戦中」と「戦後」—綿貫ゆり、千葉大学人文公共学研究論集 第 37 号
  12. ^ 『田中ウタ: ある無名戦士の墓標』未来社, 1975、p237
  13. ^ 大審院刑事判例集 第10巻 法曹会 1922-1937
  14. ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社, 1982 p219
  15. ^ 【特高警察が証言】共産党員大検挙「三・一五事件」の知られざる内幕 纐纈 弥三 2019/12/15 文藝春秋 増刊号
  16. ^ 森田京子さんのこと私の獄中記(3)―非合法時代の回想― 西村桜東洋 労働運動研究 1984年1月 No.171号掲載
  17. ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社, 1982 p220
  18. ^ 伊藤ふじ子コトバンク
  19. ^ 『完本・昭和史のおんな』澤地久枝、文藝春秋, 2003、p456


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