グスコーブドリの伝記 あらすじ

グスコーブドリの伝記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 07:16 UTC 版)

あらすじ

グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーブの森に暮らす(きこり)の息子として生まれた。冷害による飢饉で両親を失い、妹と生き別れ、工場に労働者として拾われるも火山噴火の影響で工場が閉鎖するなどといった苦難を経験するが、農業に携わったのち、クーボー大博士に出会い学問の道に入る。課程の修了後、彼はペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師となり、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。前後して、無事成長し牧場に嫁いでいた妹との再会も果たすのであった。

ところが、ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われる。カルボナード火山を人工的に爆発させることで大量の炭酸ガスを放出させ、その温室効果によってイーハトーブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。しかし、クーボー博士の見積もりでは、その実行に際して誰か一人は噴火から逃げることができなかった。犠牲を覚悟したブドリは、彼の才能を高く評価するが故に止めようとするクーボー博士やペンネン老技師を冷静に説得し、最後の一人として火山に残った。ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われたのだった。

解説

農業を始めとする宮沢賢治の実体験が色濃く反映した作品で、「ありうべかりし自伝」と言われることもある。また、その伝記的側面とのつながりから語られることが多い。一方、結末については第二次世界大戦後になって「自己犠牲を過度に美化した内容である」という批判もなされている[注 4]

発表時の挿絵(6点)を手がけたのは無名時代の版画家棟方志功であった。棟方は、約40年後に『校本宮澤賢治全集』の月報に寄稿した文章では、その絵を描いた記憶が「薄すぎる」と述べ、「けれどもたしかに、わたくしの、その頃の絵ですから仕方のない事です。―少し、思い出されるのは、これはたしかに「ムナカタシコウ」の絵に違い無いという事だけです。」と記した[4]。6点の挿絵中4点には棟方による署名の添え書きとして「六年九月」という記載がある[5]

作中に登場する潮汐発電所は、執筆から約30年後にフランスで実現した。また、作中で「もっとも重要な作物」として出てくる「オリザ」はイネ(稲)の学名 "Oryza sativa" の日本語転写「オリザ・サティヴァ」に由来する。また、水田に相当するものは「沼ばたけ」と表記されており、日本語としての「稲」や「水田(田んぼ)」という言葉は使用されていない。

冷害を止めるために火山噴火で二酸化炭素 (CO2) を増やそうとするくだりは、地球温暖化現象が大々的に問題視され始めた21世紀初頭には、温室効果のわかりやすい描写の例として紹介されることも多くなった。また、火山噴火ではそれに伴う火山灰などの噴出物によるエアロゾルでむしろ冷害が悪化するのではないかという意見もあるが、根本順吉(元気象庁予報官)や石黒耀(『死都日本』の著者)[6]からは、賢治はそれも認識した上で(他の噴出物をほとんど伴わずに)CO2ガスを主に噴出するタイプの実在する火山を、念頭に置いて執筆したのではないかという指摘がなされている。

登場人物

グスコーブドリ
ブドリとも呼ぶ、本編の主人公イーハトーブの森に暮らす(きこり)・グスコーナドリの長男として生まれる。10歳の年から翌年にかけて連続して起きた冷害による飢饉が原因で一家離散の憂き目に遭った後、森一帯を買収した資本家の経営するてぐす工場で働くが、火山噴火による降灰被害で工場は閉鎖する。続いて、山師的な農家「赤ひげ」のもとに住み込み、農作業の手伝いと勉強に励む。その後、興味を持っていたクーボー大博士の学校で試問を受け、イーハトーブ火山局への就職を紹介される。火山局では着実に技術と地位を向上させていき、数々の業務に携わり、ひとかどの技師になる。しかし27歳のとき、またしてもイーハトーブを冷害が襲い、苦悩の末、気候温暖化のための火山の人為的な噴火計画の実行役に志願することを決心し、命と引き換えに火山のふもとに居残ることでイーハトーブを救った。
ネリ
ブドリの妹。ブドリより3歳下。冷害による飢饉の時、自宅を訪れた男に攫われてしまうが、泣き叫んだ事が却って幸いしたのか、置き去りになったところで小さな牧場の夫婦に拾われ、そこで働くようになる。後年、火山局に勤務するブドリが人工降雨を利用した施肥に関して、ある土地の農業技師から濡れ衣を着せられ農民達から暴行された事件を新聞の記事で知り、兄と再会を果たす。その時にはその牧場の主人の長男に嫁いでいた。のちに息子を出産し、母親となる。
グスコーナドリ
ナドリとも呼ぶ。ブドリとネリの父親。樵(きこり)をしていたが、2年にも渡る冷害による飢饉で困窮しきり、遂に家族に食料を残すため、家を出ていってしまった。
ブドリの母
ナドリの妻で、ブドリとネリの母親。飢饉の際、ナドリの後を追うようにやはり家を出て、二度と戻らなかった。
人さらい
序盤でネリを誘拐した男。売身目的だったが誘拐してから3日後、ネリの泣き声の大きさに耐えられなくなったか、とある小さな牧場の近くに置き去りにしてしまった。
てぐす飼い
ブドリたちの家と森一帯を買収し、てぐす工場を経営する資本家。人さらいを追って森の外れで行き倒れていたブドリに声をかけ、てぐす工場で働かせる。翌年の春、火山噴火の降灰でてぐすが全滅したため、工場を放棄し、ブドリに野原(農地)で働くことを勧めて去っていった。森を買収した際に、ブドリの両親の遺体を森で見つけ、ブドリに告げずに葬っていた事が後に判明し、ブドリはそこに父母の墓を建てた。
赤ひげ
広大な沼ばたけ(水田)を所有し、オリザ()などの投機的な作付けをしている農家の主。農業に関する知識はあまりなく、オリザに病気が出たときは、沼畑に石油を入れるといった行動をしていた。ブドリを雇って働かせるとともに、亡くなった息子の本をブドリに与えて勉強させた。旱魃が数年続いたために経営が苦しくなり、金と衣服を渡して6年間雇っていたブドリに暇を出した。後に立身したブドリが礼を言いに行き、歳をとっても相変わらずの山師ぶりだったが、暮らしは豊かになっていた。
おかみさん
赤ひげの妻。夫が投機的な作付けをすることを快く思わないが、それでも愛想を尽かさずに家計を支える。
赤ひげの隣人
赤ひげの隣に沼ばたけと水口を持つ男。自分の沼ばたけや水口に、他人が手を入れることを嫌う。
クーボー大博士
イーハトーブでは高名な学者。無料の学校を一か月間開いており、最終日に志願制の試問を行い、優秀な生徒に職を斡旋している。作中では、類を見ない優れた解答を行ったブドリに火山局を紹介した。自家用飛行船を持っており、それを使って移動している。ブドリが就職した後も、専門知識が必要な場面で相談に乗っていた。
クーボー大博士のキャラクターは、賢治の盛岡高等農林学校での恩師である関豊太郎がモデルとも言われている。
ペンネンナーム
通称はペンネン技師。火山局に務める老技師で、ブドリのよき相談相手。初登場時の年齢は不明だが、カルボナード島の人工噴火計画の時点で63歳であることが本人の口から語られている。人工噴火を起こす際の犠牲になる事を志願するも、失敗した場合に次の手を打てる者が生きるべきだとブドリに説得された。
「ペンネンナーム」の名は、本作品の前身にあたる『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の名残でもある。

注釈

  1. ^ 一部の草稿は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』に手入れして転用している他、それ以外も一部裏面を転用している。
  2. ^ 賢治が『児童文学』に寄稿したのは賢治と交流のあった詩人の石川善助が主宰の佐藤一英に賢治を勧めたことがきっかけである。佐藤は童話集『注文の多い料理店』を読んで感心し、賢治に何枚でも自由に書いてくれと頼んだという(『児童文学』復刻版別冊、p.82)。
  3. ^ 1931年8月18日付の沢里武治(花巻農学校での教え子)宛書簡[1]。この中では「次は『風野又三郎』というある谷川の岸の小学校を題材とした百枚ぐらいのものを書いています」という言及がある(原文の歴史仮名遣いを現代仮名遣いに修正)[1]
  4. ^ 一例として鳥越信 「グスコーブドリの伝記」 『国文学 解釈と鑑賞』 至文堂、1974年12月号。
  5. ^ ブドリが亡くなった後の様子がアバンタイトルで描かれたり、ネリがブドリのカルボナード島行きに反対する場面が入るなどといった脚色はある。また、ネリがブドリとの再会に際して夫である牧場の主人の長男との間に息子が一人いて母親となっていることを告げたり(のちに娘も出産する)、ペンネン技師が原作よりも若いといった設定の変更もある。

出典

  1. ^ a b 平澤信一「宮沢賢治『風の又三郎』の場所」『教育学部研究紀要』第1号、明星大学教育学部、2011年3月15日、135-140頁、CRID 1050282676648059520ISSN 21859051NAID 120005464439 
  2. ^ 宮沢賢治の草稿を出品へ/古書入札会 - 四国新聞2015年7月2日
  3. ^ 入沢康夫(新校本全集編纂委員)のTwitterより
  4. ^ 棟方志功「妙不可思議韻」『校本宮澤賢治全集』第13巻月報、筑摩書房、1974年12月(引用箇所は、原文のカタカナ・歴史的仮名遣いをひらがな、現代仮名遣いに改めた。ただし「ムナカタシコウ」の箇所は原文通り)
  5. ^ 『【新】校本宮澤賢治全集』第12巻校異篇、筑摩書房、1995年、pp.116 - 117
  6. ^ 石黒耀「私の読む『グスコーブドリの伝記』」宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第32号(2006年)。(2006年5月14日時点のアーカイブ
  7. ^ 高畑勲「自然との深い交感を賢治に見た」『映画を作りながら考えたこと II(1991-1999)』徳間書店、1999年、p233(初出は『宮沢賢治の映像世界』キネマ旬報社、1996年、に掲載)
  8. ^ キネマ旬報」2013年2月下旬決算特別号 207頁
  9. ^ 新『スパイダーマン』2週連続トップで動員100万人突破!『アンパンマン』新作は初のトップ5入り!シネマトゥデイ 2012年7月10日
  10. ^ アニメイトTV web 「名作再び『グスコーブドリの伝記』発表」 (2008.3)(2008年6月19日時点のアーカイブ
  11. ^ HOME(tac web)[リンク切れ]
  12. ^ a b 文化庁国際共同製作支援作品に「グスコープドリの伝記」「BLOOD-C」 アニメ!アニメ!ビズ2011年10月1日
  13. ^ 宮沢賢治の名作を映画化で被災地支援 日刊スポーツ2011年12月4日
  14. ^ 宮澤賢治原作『グスコーブドリの伝記』公開決定!OCNアニメニュース(2012年1月17日)
  15. ^ アニメーション部門|優秀賞”. 第16回文化庁メディア芸術祭. 2012年12月15日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グスコーブドリの伝記」の関連用語

グスコーブドリの伝記のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グスコーブドリの伝記のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのグスコーブドリの伝記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS