ばしゃ‐てつどう〔‐テツダウ〕【馬車鉄道】
馬車鉄道
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馬車鉄道(ばしゃてつどう、英: horsecar、horse-drawn tram、horse-drawn railway、streetcar)とは、馬が線路の上を走る車両を引く鉄道である。
注釈
出典
- ^ a b c 三宅秀道『新しい市場の作り方』2012年、東洋経済新報社、32頁
- ^ 青木 2008, pp. 19–20
- ^ Riehs: Jahrbuch Nr.16 des Musealvereines. Wels 1969/70.
- ^ 東京の鉄道発達史 今尾恵介 JTBパブリッシング p21
- ^ 『官報』1890年08月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 明治の郵便・馬車鉄道 篠原宏 雄松堂出版 p111
- ^ a b 東京の鉄道発達史 今尾恵介 JTBパブリッシング p22
- ^ 明治の郵便・馬車鉄道 篠原宏 雄松堂出版 p112
- ^ 東京鉄道局工作部長『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 道路交通法2条1項13号
馬車鉄道
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「ブラウンシュヴァイク市電」の記事における「馬車鉄道」の解説
ブラウンシュヴァイク市内における最初の軌道交通は、1879年10月1日から営業運転を開始した馬車鉄道であった。この馬車鉄道は途中にある急曲線の影響から、軌間が各地の鉄道で標準的に用いられていた1,435 mmよりも狭い1,100 mmで建設され、以降その軌間が2021年まで受け継がれている。一方、レールの形状については開通当初逆U字型の断面をしており、凹みの部分に台車を組み込むという形で運用が行われていた。これは通常の「エ」の字型の断面では道路を渡る歩行者が躓き転ぶ危険性がある事から採用されたものだったが、脱線が相次いだ事で1881年までに「エ」の字型の断面を持つレールへの交換が実施された。その後、馬車鉄道の路線網は拡大し、1897年には総延長が14 kmに達した。 一方、1890年代以降のドイツ各都市では馬車鉄道を最新鋭の交通機関・路面電車へ置き換える動きが加速しており、ブラウンシュヴァイクでも導入に関する検討が進められるようになった。架線を上空へ張り巡らせることによる都市景観への影響が問題視されたものの、最終的に全長10.5 kmの区間を電化する事となり、1897年5月に着工したのち、同年10月28日から路面電車の営業運転が開始された。 開業当初の馬車鉄道(1879年撮影)
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馬車鉄道
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旧浦河支庁庁舎の前と旧ソーケシュオマベツ駅逓所の前を結んで路面上に線路が敷設されており、夏季には馬車鉄道の運行が行われている。冬季間は積雪のために代わりに馬ソリが運行される。線路の総延長は516.58 mあり、途中一部複線となっている。旧ソーケシュオマベツ駅逓所の側に煉瓦建の車庫が設けられている。軌間はかつての札幌の馬車鉄道と同じ762 mmで軌条は15 kg/mのものを使用している。客車は1982年(昭和57年)に日本車輌製造で製造されたものが2両用意されており、札幌馬車鉄道で使用されていたものを見本として製作されている。自重は3 t、定員座席12名、立席6名、ブレーキは手ブレーキとなっている。2017年(平成29年)12月から、村の入口に当たる旧札幌停車場を出るとすぐに馬車鉄道に乗れるように、約80メートルの延伸工事を実施。枕木・レールの交換と合わせ総工費は約4800万円をかけ、2018年(平成30年)3月に完成。乗車料金は、子供(3歳~14歳)は100円、大人(15歳以上)は250円となっている。
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馬車鉄道
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ブルノ市内における最初の軌道交通は、1869年8月17日にブルノ旅客・貨物輸送会社(Brünner Tramway Gesellschaft für Personen und Frachtenverkehr)によって営業運転が開始された馬車鉄道であった。これは当時のオーストリア=ハンガリー帝国においてウィーン、ブダペストに続く馬車鉄道網の開通事例であり、現在のチェコにおける最古の都市内の軌道交通でもあった。だが、当初こそ利用客は多かったが運賃の高さなどが起因となり経営は低迷し、1874年に廃止された。 一方、1876年には新たに設立されたブルノ軌道(Brünner Tramway-Unternehmung)により再度馬車鉄道が開通し、夏季限定で運行していたものの、こちらも業績が低迷した結果1880年に廃止されている。 動態保存されている馬車鉄道(ブルノ軌道)の車両(2006年撮影)
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