電気と磁気
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電気と磁気の力はお互いに不可分である。これらの関係は、電磁気学の基本方程式であるマクスウェルの方程式で与えられる。
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電気と磁気
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「マイケル・ファラデー」の記事における「電気と磁気」の解説
ファラデーは特に電気と磁気の研究でよく知られている。彼が記録している最初の実験は、7枚の半ペニー貨と7枚の亜鉛シートに6枚の塩水を浸した紙を挟んで積み上げたボルタ電池を作ったことだった。この電池を使って硫酸マグネシウムを電気分解している(1812年7月12日付けのAbbottへの手紙に記述がある)。 デンマークの科学者ハンス・クリスティアン・エルステッドが電気と磁気の関係を示す現象を発見すると、1821年にデービーとウイリアム・ウォラストンが電動機を作ろうとしたが失敗した。ファラデーは2人とその問題について話し合い、電磁回転 (electromagnetic rotation) と名付けた動きを生じる2つの装置を作り上げた。1つは水銀を入れた皿の中央に磁石を立て、上から水銀に浸るように針金をたらし、その針金と水銀を通るように電流を流すと、電流によって生じた磁場が磁石の磁場と反発して針金が磁石の周囲を回転し続けるというものである。もう1つは単極電動機と呼ばれるもので、逆に磁石側が針金の周りを回るようになっていた。それらの実験と発明が現代の電磁技術の基礎を築いた。この成果に興奮したファラデーはデービーやウォラストンの許可を得ずに、それを公表した。 これに怒ったデービーとファラデーの関係が悪化し、デービーは電磁気以外の研究をファラデーに押し付け、数年間電磁気研究から遠ざけたと見られている。デービーはファラデーが王立協会フェローになることを猛烈に反対し、自分が見出したファラデーの頭角に嫉妬を抱き始めていた。しかし、ファラデーの友人の推薦により、フェローに選ばれた。また、デービーはウィリアム・ウォラストン自身が否定しているに関わらず、ファラデーを「ウォラストンの研究を盗んだ」と非難したりもした。もっとも、デービーは「私の最大の発見はファラデーである」という言葉を残している。小学校しか卒業していない製本屋の見習いが19世紀最大の科学者と言われるようになったことを考えると、この言葉は正鵠を射ているといえる。 1824年、ファラデーは導線を流れる電流を外部の磁場によって調節可能かどうかを研究すべく簡単な回路を製作したが、そのような現象は見つけられなかった。3年前、同じ実験室で光が磁場に影響されるかを実験しており、そのときも何も見つけられなかった。その後7年間は光学用ガラス(鉛を加えたホウケイ酸ガラス)の製法を完成させることに費やし、後の研究でそれが光と磁気の関係の研究に役立つことになった。光学の仕事以外の時間を使って電磁気を含む実験の論文を書いて公表し、デービーとのヨーロッパ旅行で出会った海外の科学者とも文通した。デービーの死から2年後の1831年、ファラデーは一連の重要な実験を行い、電磁誘導を発見した。わずか数カ月前にジョゼフ・ヘンリーも発見しているが、2人に先行してイタリアのフランチェスコ・ツァンテデスキが1829年と1830年に同様の論文を発表していた。 他の科学者たちが電磁気現象を力学における遠隔力と考えていたのに対して、ファラデーは空間における電気力線・磁力線という近接作用的概念から研究している。ファラデーの突破口は、鉄の環に絶縁された導線を巻きつけてコイルを2つ作ったことであり、一方のコイルに電流を流すともう一方のコイルに瞬間的に電流が流れることを発見した。この現象を相互誘導と呼ぶ。この鉄の環のコイルは今も王立研究所に展示されている。その後の実験で、空芯のコイルの中で磁石を動かしても電流が流れることを発見した。また、磁石を固定して導線の方を動かしても電流が流れることを発見。これらの実験で、磁場の変化によって電場が生ずることが明らかとなった。このファラデーの電磁誘導の法則は後にジェームズ・クラーク・マクスウェルが数理モデル化し、4つのマクスウェルの方程式の1つとなった。そして、さらに一般化され場の理論となっている。 ファラデーは後にこの原理を使って原始的な発電機を製作している。 1839年、電気の基本的性質を明らかにする一連の研究を完成させた。ファラデーは「静電気」、電池、「動物電気」を使い、静電気による誘引現象、電気分解、電磁気学などの現象を生み出した。彼は、当時の科学界で常識だったこれらの電気の種類の違いは存在しないと結論付けた。そして電気は一種類だとし、強さや量(電圧と電流)の違いが様々な現象を引き起こすとした。 後年ファラデーは電磁力が電気伝導体の周囲の空間に及んでいるという説を提案した。しかし他の科学者はその考え方を拒絶し、ファラデーの存命中は認められなかった。ファラデーの帯電した物体や磁石から磁力線が出ているという概念は、電磁場の視覚化手段を提供した。このモデルは19世紀後半の産業を支配した電気機械式装置の開発にとってきわめて重要となった。
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