遜色急行とは? わかりやすく解説

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遜色急行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 03:36 UTC 版)

遜色急行(そんしょくきゅうこう)は、 急行列車で使用することを想定していない鉄道車両を用いて運転された、車両が一段格落ちの急行列車を揶揄した、主に鉄道ファンによる俗称


注釈

  1. ^ 「いぶり」「深浦」キハ22形「うおの」キハ52形が運用された例を挙げている。
  2. ^ 料金不要の急行列車においても専用車両を使用している事業者では一般車両が充当される事例もあるが、当項目では省略する(急行形車両#料金不要の「急行」を主体とする車両を参照)。
  3. ^ 当時の国鉄は急行列車を廃止し、「特急大衆化」の名の下、急行からの「格上げ」を含む特急大増発を行い、思い切った運賃の値上げと共に収益改善の柱とした。急行形の接客設備を備えた車両は、165系電車1970年(昭和45年)、457系電車1971年(昭和46年)、キハ65形1972年(昭和47年)までに製造を終了。これ以降は、低コストな波動輸送用車両として12系客車のみが1978年(昭和53年)まで製造された。
  4. ^ 一等車はもちろんのこと、急行形電車で半室食堂車が製造されたのも、客車列車時代のサービスをなるべく維持するため。
  5. ^ 機関出力の低さを各部の軽量化で補う設計のため、座席が小さく、特に背もたれが非常に低い。
  6. ^ 特に北海道においては、一般形気動車でも1958年昭和33年)登場のキハ22形以降はデッキ付きであり、独立した洗面所のないこと、窓側席の肘掛けが無いこと、デッキ近くに若干のロングシートがあること以外、急行形との設備の差異が少なく、機関出力や台車も急行形と共通であり、乗り心地にも遜色がなかった。もっとも例外はあり、旧式で居住性の悪いキハ12形や、デッキ無しで冬季の耐寒性が不足するキハ21形を用いた事例も1970年代以前には見られた。中でも最も遜色のあった列車の実例と見られているのは、1960年代戦前製の機械式気動車[注 5]のためであるキハ05形を用いて運転された、釧路駅発着の標津線直通準急の一部である[4]
  7. ^ 北海道では国鉄末期に、急行形であるキハ56形の改造によりキハ53形500番台が登場し、一部は急行列車にも用いられたこともあるが、むしろ地域輸送用として、深名線廃止)・札沼線(学園都市線)末端(気動車が受け持つ区間。廃止)などの閑散・豪雪線区で両運転台の利便性と、余剰出力による排雪能力を両立させることが、本来の製作目的であった。
  8. ^ 1973年の「上尾事件」の発生には、デッキ付2扉車の急行形車両をラッシュ輸送に使用していたことも一因とされる。
  9. ^ 221系や登場時の811系はデッキ無し両開き3扉ではあるものの転換クロスシートを備え、蛍光灯にカバーも付いていたため、急行として運転しても遜色は少なかった。
  10. ^ 1970年代後半 - 1980年代初頭まで冷房のない43系客車が使用されていた列車や、縦揺れと冬期のすきま風が問題となっていたナハ10系もこのケースに該当する。また、58系気動車を用いた急行では、1970年代後半以降も電源の問題から非冷房のまま運用されていたケース(キハ65形が配属されない東北地方に多かった)も同様である。 その後は1998年平成10年)2月に開催された長野オリンピックの際に運転された臨時急行「安曇野」が、アコモデーション未改善の165系電車で運行された例がある
  11. ^ さらに128は1983年に事故車の補充で米子に転出、その後最後の旧国鉄標準色車として一種のイベント車的な存在になり、JR西日本に引き継ぎ後も2000年に廃車になるまでこの色を維持した。
  12. ^ 末期は415系の冷房改造車(1977年までに完了)と新製冷房車が運用に入ることもあった。
  13. ^ 正面3枚窓の最初期車さえ充当されることもあった。
  14. ^ 2往復時代における下り2号と上り1号。この改正での1往復化で号数付与が廃止され、下りの東京駅発列車も上野駅発となった。
  15. ^ 急行としての必須設備であるリクライニングシート付き1等車とビュフェ車も連結。
  16. ^ 1968年10月1日より1969年4月24日までの間、この下り1本の115系電車や基本の165系電車のほか、全車指定席列車の1往復で157系を使用。1969年4月25日より165系に車種変更。
  17. ^ 1975年以降、特に夏期には同じ115系でも冷房付きの300番台が充当されることも多かった。
  18. ^ その当時は既に冷房改造済。
  19. ^ キハ75形使用の「かすが」の最高速度はキハ58・65時代の95 km/hから120 km/hに引き上げられている。なお、キハ58・65時代の「かすが」の最高速度は、キハ75(120 km/h)はおろか、キハ75形が投入される以前のキハ58・65の高速化改造車(5000番台。110 km/h)の快速「みえ」より遅かった。
  20. ^ 例えばキハ55系気動車や153系電車の1等車(1960年6月までは2等車)において、シートピッチが狭くリクライニング機能のない回転式クロスシートの車両があり、それらの車両は準急だけでなく急行に使用されたケースもあり、準急での使用であれば問題ないものの急行での使用では遜色があった。そのため急行形1等車の冷房化が進むにつれて、2等車に格下げされたり、普通列車用である近郊形の1等車に格下げされていった。
  21. ^ 電動機の冷却風から粉雪を分離する区画。
  22. ^ 当時の近郊形電車の最高速度が95 km/hであった中、711系の最高速度は唯一110 km/hと急行形電車並を誇っており、新設計の空気ばね台車の装備も相まって、1980年代中期まで100 km/h以下に留まっていた気動車を上回る性能を有した。また、札幌 - 旭川をノンストップの1時間38分(設定当初の下りは1時間36分)で結び、表定速度83.8 km/h(国鉄・JRを通じ、定期急行列車の最高記録)を記録した急行「さちかぜ」も設定された。後年、この列車を格上げした形のエル特急「いしかり」では、同じ6両編成電動車の数が倍加した485系1500番台が投入されたが、接客設備は簡易リクライニングシートなどで向上したものの、所要時間のみで見れば、わずか2分の短縮(最初期の急行「さちかぜ」と同じ)にしかならなかった。
  23. ^ これら優等列車に使用された車両も後継車両の登場につれて普通列車に格下げ使用された[10]
  24. ^ 陳腐化に対処するための改造で1962年に開始され、室内灯の蛍光灯化・ドアと内張りの取り替え・窓のアルミサッシ化・扇風機の取り付けなどが挙げられる。1964年以降に施工された車両は青15号に塗装された。
  25. ^ これら客車はその用途から急行形に分類されることもあるが[11]、岡田は旧型客車が製造された時代の客車には正式な意味で急行形に分類したものではないことを言及している[12]
  26. ^ 1970年代の時点での有料急行列車としては格別なものであった。
  27. ^ 東武での急行の列車種別は、同年の改正で東上線や他の大手私鉄と同様に一般車を使用した列車に転用された。
  28. ^ 私鉄の快速列車では運賃のほかに座席指定料金を徴収する異例の存在でもあった。
  29. ^ 非常に特殊なケースではあるが、「こだま」に使用されていた151系の代わりに急行型である153系が使われた事例が存在する。これは、151系が全て田町電車区所属であり大阪地区に予備の編成が存在していなかった事によるもので、事故等のダイヤ乱れやゴールデンウィーク等繁忙期の際には153系を用いた運用が行われた。しかし車内設備は急行用であったため、これにより151系が目当てであった子供連れの利用客を落胆させ、「替えだま」と揶揄されたとされる[15]。なお、「第一富士」脱線事故が発生した際には、ダンプカーに激突した先頭のクロ151-7が大破。更に予備編成が無かったため、一時期臨時でこちらの代走運用にも充てられた。
  30. ^ 振り子式車両による運転で表定速度が速い381系「くろしお」と比較して非振り子式で低重心構造でもないため所要時間に相当の差があった。2012年3月から充当されている287系電車と2015年4月から充当されている289系電車も振り子式ではないが、こちらは低重心構造を採用し、車両の性能も向上しているため、所要時間が最大で約10分前後伸びた程度に留まっている。
  31. ^ a b 「はやとの風」が運行される鹿児島中央吉松間、「海幸山幸」が運行される宮崎南郷間は急行料金より低廉な特定特急料金が設定されている。
  32. ^ ただし、これらの列車は「観光列車」であり、一般特急における乗り心地や速達性が求められるものではないため、単純な「遜色」扱いは営業実態や利用客の指向を考慮しない見方である。
  33. ^ 「準特急」という種別は後に近畿日本鉄道京王電鉄でも使用され、こちらは特急より停車駅を多く設定しものであり、近鉄のものは主要駅停車タイプの特急(乙特急)の前身種別として使われた。京王のものは元々は急行及び通勤快速の速達化を目的としたもので他社の快速急行と同格の種別であったが、2013年2月のダイヤ改定以降は高尾線内の各駅停車の有無によるものであり、急行とは停車駅で逆転現象が生じている。
  34. ^ 一般車格下げ後、後年に更新工事に際して冷房化された。
  35. ^ 3200形は一般車との差異が大きく、扉は片開きで便所も備えていた。
  36. ^ かつては一般車両を使用した料金不要の「特急」として運行されていた。
  37. ^ ともに既存の有料特急とは別途設定。
  38. ^ 路線は異なるが西武鉄道のS-TRAINが土休日ダイヤで乗り入れ。
  39. ^ 運行開始まで同社では座席指定制列車の設定はなかった。
  40. ^ 南海本線では特急、国鉄線内では急行として運行。
  41. ^ 設備面だけで見るなら、1959年9月22日日光線電化開業にあわせて新製された157系が、準急運用の間合いに、送り込み回送を兼ねた日光駅 - 黒磯駅で快速列車として1往復客扱いした例がある。157系は準急型車両ではあるものの、本来であれば設備水準が準急型車両よりも上位であるはずの急行型車両の標準的な水準よりもはるかに上であり、冷房がない点を除けば特急型電車に匹敵する破格のものであった。157系はこうした破格の設備水準であったため、準急列車はおろか、急行列車への充当でも、いわゆる“乗り得準急・乗り得急行”であったが、運用の都合上で設定した短区間の運転で、かつ1往復のみの運転であったとは言え、この設備水準で料金不要の快速列車にも充当されたことは、当時としては極めて異例なものであった。
  42. ^ しかし185系は側窓が開閉可能で座席は1990年代中盤頃まで転換クロスシートで、特急には不足と見られていたため「踊り子」は逆に遜色特急扱いを受けた。
  43. ^ キハ66・67形と異なり戸袋部の座席もクロスシートとなっていた。
  44. ^ 荷物車郵便車を除く。
  45. ^ グリーン車を連結していたため、首都圏以外では珍しくなった普通列車の自由席グリーン車も設定されていた。
  46. ^ 優等列車(特に特急列車)用車両は状態が良くても後継車両に比べて見劣りがする車両は一般車両に格下げ改造されることがあった。特に料金不要特急を運行している京浜急行電鉄名古屋鉄道阪急電鉄京阪電気鉄道阪神電気鉄道西日本鉄道では旧型の特急用車両を通勤形に近い形に改造した車両が見受けられた。また、有料特急でも近畿日本鉄道の吊り掛け駆動時代の車両(2250系6421系等)は一般列車用に格下げ改造されているし、小田急電鉄でもSE車登場以前の車両や準特急用の2320形は通勤形への格下げ改造が行われている。
  47. ^ なお、性能は釣り掛け駆動であり、前述のとおり、急行や快速急行に充当された場合は性能面において遜色があった。
  48. ^ 運行開始した2017年から2021年3月の改正までは下今市駅 - 東武日光駅間および下今市駅 - 鬼怒川温泉駅間も含んでいた。
  49. ^ 空席があれば座れるが、座席指定が必要な場合は特急券が必要となる[18]。空席着席後にその座席を指定している特急券を持つ乗客が乗車してきた場合は、席を譲らなければならない。
  50. ^ 2022年4月15日ダイヤ改正で定期運行取りやめ[19]

出典

  1. ^ 鉄道ピクトリアル』768号、電気車研究会、2005年11月、10頁。 
  2. ^ a b c d 『季刊 Jトレイン』Vol.25、イカロス出版、2007年4月、27頁。 
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル』768号、電気車研究会、2005年11月、13-14頁。 
  4. ^ 『鉄道ピクトリアル』768号、電気車研究会、2005年11月、9頁。 
  5. ^ “「ぼったくり」と呼ばれ…JR最後の昼間急行が廃止へ”. 朝日新聞. (2008年11月2日). オリジナルの2008年11月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081106065551/https://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK200811010100.html 
  6. ^ “JR最後の昼間急行「つやま」で行く小旅行”. 朝日新聞. (2008年3月19日). https://www.asahi.com/komimi/TKY200803140281.html 
  7. ^ 『Rail Magazine』No.355、ネコ・パブリッシング、2013年2月21日、120頁。 
  8. ^ 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅰ』JTBパブリッシング、2008年11月28日、239頁。 
  9. ^ 『Rail Magazine』No.336、ネコ・パブリッシング、2011年7月21日、9頁。 
  10. ^ 塚本雅啓『戦後日本の鉄道車両』グランプリ出版、2002年4月1日、90頁。 
  11. ^ 塚本雅啓『戦後日本の鉄道車両』グランプリ出版、2002年4月1日、88頁。 
  12. ^ 『鉄道ファン』No.413、交友社、1995年9月、50頁。 
  13. ^ 福原俊一『国鉄急行電車物語』JTBパブリッシング、2006年8月29日、58頁。 
  14. ^ 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』PHP研究所、2010年7月23日、78頁。 
  15. ^ 星晃『回想の旅客車 上―特ロ・ハネ・こだまの時代』学習研究社、2008年3月1日、97頁。 
  16. ^ 石本祐吉『京成赤電ものがたり』ネコ・パブリッシング、2012年5月21日、41頁。 
  17. ^ a b “「隠れ特急」って何だ?青春18きっぷで特急を楽しめる「乗り得列車」が話題に”. アエラ: p. 2. (2019年8月2日). https://dot.asahi.com/articles/-/33213 
  18. ^ 『東武時刻表 2020年3月14日号』、4頁。 
  19. ^ 富山地方鉄道,4月15日ダイヤ改正で特急の運転休止へ”. 鉄道ファン. 交友社 (2022年4月12日). 2022年11月27日閲覧。





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