国鉄181系電車とは?

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国鉄181系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 00:05 UTC 版)

国鉄181系電車(こくてつ181けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流特急形電車。本項ではその母体となった151系電車および161系電車についても記述する。




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  1. ^ バスの場合は点滅機能はない。
  2. ^ 現在は健康上の問題から使用されていない。
  3. ^ 比較対象として従来の木製根太を使用したモハ151-1・3・5およびクハ151-1・3・5の6両と、浮床構造の設計が困難なモハシのビュフェ部及び各車デッキ部は除く。
  4. ^ クロ151形およびクハ180-51を除くクロ・クロハ181形からの改造車は塗り分けの傾斜角度が70度。
  5. ^ このマスコットは現在でもJRグループ特急車の一部に残存しているほか、EF66形電気機関車では正面ナンバープレート台座の意匠にも採用された。
  6. ^ 電車や気動車の特急に絵入りの愛称マークが採用されたのは、本系列の登場から20年後の1978年(昭和53年)である。本系列には、当時唯一の運用列車であった「とき」にのみ絵入りの愛称板が使用された。
  7. ^ 翌年に本系列で運転された「ひびき」にも採用された。
  8. ^ サロ181-6のみがAU11形のままで残り、廃車まで交換されなかった。この車両は東海道新幹線開業に伴う向日町運転所への転属から外れたため、1964年(昭和39年)11月から田町区で4年近く休車となっていた。
  9. ^ 1963年(昭和38年)に製作された映画、『天国と地獄』(黒澤明監督)では、この窓と車内電話がトリックとして利用され、ストーリー上の重要な役割を果たしている。
  10. ^ 1961年度(昭和36年度)以降の増備車は、脈流対策を施したMT46Bに変更された。
  11. ^ 「こだま」の運行開始当時はグレーに塗装されていたが、運行開始後に全般検査を担当した大井工場の要請で、他の国鉄電車と同様の黒に変更されている。
  12. ^ 当時、車両称号規程の一部改正を検討中で、電車形式整理案により「50系」が仮称されていたが、改正が間に合わない事から当時空形式となっていた「20系」が選択される事となった。
  13. ^ 1958年(昭和33年)製造車のみは、ロッドでコントロールする可倒式を採用。
  14. ^ 1960年(昭和35年)8月20日から、通話可能区域は東京23区名古屋市大阪市のみであったが、供用を開始。
  15. ^ 当初の計画では、コーヒーショップをイメージし、エスプレッソコーヒーマシンやソフトクリームフリーザーを用意する予定であったが、アルコール提供も考慮しなければならず、最終的には上記の調理設備に変更となった。
  16. ^ 「つばめ」電車化時点でサロ2形式を含みビジネスデスクと洋式トイレが1両おきの設置にする配慮である。
  17. ^ 逆に「とき」営業運転開始前における予備車の試運転では、クハ161形が1両だったため、反対側にクハ151形を連結して行っている他、クハ153形を連結した営業開始前の試運転も行われており、他系列との混結実績がある。
  18. ^ 捻出されたMT46系主電動機は、101系および155系の増備車に転用。
  19. ^ 1978年(昭和53年)の新製車6両を含む。
  20. ^ 窓の天地寸法が大きく幕板が狭いため、他形式同様の棚が使えなかった。
  21. ^ 台枠に付くカバーの固定用ボルトも省略されているため装着自体が不可能である。なお、50番台車は固定用ボルトが残されている。
  22. ^ 当時の鉄道誌によるとクハ181形はクハ481形と違い両渡り仕様に出来ないことからクハ180形が製造されたとある。また、後年クハ181形・サハ180形共々両詮渡り改造を施工しているが、床下機器をクハ181形と逆転配置とすることで引き通し線がクロスしない設計にされたことから、当初は仕様の共通化・統一化からあくまでも偶数向き固定設計で対応させたと考えられる。
  23. ^ 詳細は近畿車輛#鉄道車両以外の製品の項目を参照。
  24. ^ サロ181-1053の種車となったサロ481-28は、東急車輛が製造した車両で、改造編入名義ではあるが、同社製唯一の本系列車両となる(他の種車は近畿車輛製)。
  25. ^ 一部車両は方向転換も伴う大規模なものであったため、実際に72両の模型を作り事前演習が何度も行われた。また方向転換をスムーズに行うため、クロ151形の奇数番号車は本来の向きとは逆の東京向きで納入されている。
  26. ^ 新編成での営業初列車は、改正前日の下り「第2こだま」。
  27. ^ 「はと」はこの改正で一旦「つばめ」に統合されるが、翌1961年(昭和36年)10月改正で復活。
  28. ^ 12両中11形式で編成。しかもモハ151形は、8号車の0番台と11号車の10番台で設計変更が行われたため事実上すべてが別形式の編成であった。しかし、製造コストや予備車確保の問題をはじめ編成の自由度が下がるなどのデメリット面も大きく、反省点として481系以降の特急形電車では極力車種を減らす設計へと方針転換している。
  29. ^ 広島「つばめ」運用の際には、クロ151形の前頭部連結器カバーを大阪 - 広島間では外して運転した。
  30. ^ この措置で乗務員9名の節約と交代要員2名の客室座席を浮かせることが可能になっている。
  31. ^ 正式な組込は10月1日からで、それまでは増号車扱い
  32. ^ 機関車運用の都合で、瀬野八での補機連結は1966年(昭和41年)10月のダイヤ改正まで続けられた。
  33. ^ 1969年のモハシ180-4時代のユニットとなるモハ181-4がモハ180-115と組み替えになり休車となったが、1970年(昭和45年)にモハ180-54へ改造された際モハシ180-11と交換されモハ181-25とユニットを組成した。
  34. ^ サロ151-6(→サロ181-6)は1968(昭和43)年11月12日付、サロ150-2(→サロ180-2)は1969(昭和44)年6月14日付でそれぞれ改造竣工している。
  35. ^ 初日の下り「第1あずさ」は、甲府 - 竜王間で踏切事故によって運転不能となり、甲府以西と折り返しの上り「第2あずさ」は165系で代走した。
  36. ^ 車両運用上の観点から181系の新製案もあったが、初期車の経年問題と抜本的な改良のため183系電車1000番台の新造となった。
  37. ^ 100番台グループの中からも1966年(昭和41年)製造クハ180-1 - 3が実働9年で廃車となっている。これは、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年3月31日大蔵省令第15号)に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない期間での廃車である。
  38. ^ 後年投入された183系1000番台・189系の方向幕には、「あさま銀嶺」「あずさ銀嶺」が確認されているが、両形式とも実際に充当されたことはない。
  39. ^ 上記のとおり、当時の本系列は正面の愛称板が「こだま」で固定されていたため、これを覆う形の愛称板が取り付けられて運行された。
  40. ^ 編成中に車両番号が151系のままの車両も存在するが、これは前年に大井工場で181系化改造が施工されたものの改番手続きが取られる前の車両である。
  41. ^ 営業列車で151系が東京に姿を現した最後の運転でもあった。また、この編成は大阪方4両と東京方クハ151形が九州乗入れ対応改造施工の特11編成、他の7両が未対応の特2編成で組成された。
  42. ^ ダイヤ改正後はサロ1両減車になるため、特7編成は特2編成から捻出されるサロ150-1を組込予定で10両編成で落成。しかし、試験運転は4M6Tで運転のため、ほぼ同時期に落成し田町区へ配置された153系2両が組み込まれた。
  43. ^ 東海道本線の全線電化開業に間に合わせるべく突貫工事となり、バタヤ電化と呼ばれた静岡県内では架線電圧の変動が大きく、MGの過回転によるフラッシュオーバーが頻発した
  44. ^ この改造で妻面の風道の向きが左右非対称の車両(モハ181-1・2など)が誕生している。
  45. ^ 改造工事中には、早期落成したモロ150形・151形のユニットを分離し、サロの代用として既存編成に組み込んで営業運転を行っている。
  46. ^ 出典 : 「国鉄鋼製電車2-13[直流新型電車編]151・161・181系」鉄道ファン No.134(1972年6月号))
  47. ^ 1965年(昭和40年)8月に特7編成が、9月に特4編成が181系化改造がされているが、この2編成は181系化時点では対応設備は残されており乗入れ運用にも投入。運用終了後に他編成同様に復元。
  48. ^ 電気機関車の電気暖房用EGは、直流1,500V/300kVA程の出力を供給することが可能であり、容量的にも151系へのサービス電源供給が可能ではあるが、当時の九州地区では蒸気暖房が使用されており、EGを搭載する機関車がなかったこと、また新造しても後の転用面での問題もあるためにこの案は見送られている。
  49. ^ 向日町運転所所属時代にも、前照灯は残したままでウィンカーランプとバックミラーを撤去する工事が1971年(昭和46年)に吹田工場で行われた。
  50. ^ 電動車ユニットが4組になるため、クハ181・180形に力行表示灯増設の工事も行われた。
  51. ^ 当時は、固定編成であっても編成単位の検査ではなく検査対象の車両・電動車ユニット毎に編成から抜かれ、予備車や他編成間で頻繁に交換して検査を実施していたため所定編成どおりとは限らず、編成内の一部車両だけが交換されていることは珍しくなかった。また、九州乗入れ改造対象工事の日程都合から予備車を含めて大きな編成組替が行われていた可能性もある。
  52. ^ 出典元:福原俊一・著「国鉄特急電車物語 直流電車編」p128
    『151・161・181系特急形直流電車』上・下
  53. ^ 出典元は当時の国鉄運転局の事故報告資料で同一著者の書籍だが、『国鉄特急電車物語 直流電車編』では脱線小破。『151・161・181系特急形直流電車』では脱線中破。いずれかが誤記と思われる。
  54. ^ 山陽本線転用後にパーラーカーの利用率が低迷し格下げ改造されたことは、この見解が正しいことを証明した。
  55. ^ 阪和線において52系電車による特急電車が運転された例があるが、これは現在の「特別快速」に相当する。
  56. ^ 当時の田町区運用では、使用11編成中大阪(向日町)で5編成、名古屋・広島でそれぞれ1編成ずつ計7編成の夜間滞留が組み込まれており、下り「おおとり」で出区し名古屋滞留となると翌日から4日連続大阪滞留となるため、次に田町区に帰区するのは6日後という運用もあった。
  57. ^ 事故当該の特7編成を復旧させるとともに廃車になったクロ151-7の代車として、特9編成のクロ151-9に差し換え。玉突きで特8編成のクロ151-8が特9編成に組み込まれた。これは、特7・特9編成が九州乗り入れ対策改造対象編成で、復旧工事と急遽捻出されることになったクロ151-8の改造日程の都合によるものである。また、福原俊一「国鉄特急電車物語 直流電車編」によれば事故当該のクロ151-7・サロ150-3を除いた車両がクハ161と編成を組成して復旧したという記載がある。編成内容については詳細が書かれていないものの九州乗り入れ対策改造の都合から、一時的な組成が行われた可能性がある。
  58. ^ ミニスカート+スノウプラウ、連結器カバーなしでブレーキホースを装着。
  59. ^ 交通科学館として開館した当時は「こだま」のヘッドマークを装着していたが、一時期塗装を変更して481系の「雷鳥」にされ、その後再び「こだま」に戻されている。かつては普通席、グリーン(旧一等)席を数脚ずつ配した客室部分があったが、近年、交通科学館の改装に伴いカットされ、現在は運転台部分のみとなっている。なお、台車はモハ用のDT23Zが使われている。ただし、前面連結器カバーは向日町運転所配置時代の赤一色塗りとなっている。
  60. ^ 1962年(昭和37年)に大井工場で製造されたカットボディの一部という趣きで、塗装や「こだま」のサボ、実車と同じ冷房吹出口などを使用していた。
  61. ^ クハ181-41は、クロハ181形の関東地区転用クハ化改造の代車として短期間向日町運転所に貸し出された実績がある。
  62. ^ サロ181形1050番台はサロ481形時代に、サシ181-102・103はサシ489形改造後に向日町運転所配属となっている。







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