虐殺と死の列車とは? わかりやすく解説

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虐殺と死の列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 08:30 UTC 版)

ヤシの大虐殺」の記事における「虐殺と死の列車」の解説

ルーマニア政府依頼承認した報告書には、虐殺多くの人が加わっていく様子について次のように記されている。 6月28日から29日にかけての夜間ユダヤ人狩り先陣切ったのは、ベッサラビア警察憲兵支援受けたヤシ警察であった。これに、軍兵士、SSIのもとで武装した人、自らの行動が罰せられないことを知って強盗殺戮起こすようになった暴徒などが加わったルーマニア人住民は、ユダヤ人に関する情報提供したり、兵士ユダヤ人の家避難場所案内したりする以外にも、警察本部へ向かう途中ユダヤ人対す拘束侮辱行ったユダヤ人隣人著名無名問わず反ユダヤ運動の支持者学生低賃金身分の低い役人鉄道職員ユダヤ人との競争に不満を持っていた職人ホワイトカラー労働者退職者退役軍人など様々な人々参加したルーマニア兵士警察暴徒らがすぐにユダヤ人虐殺加わった最初虐殺で、少なくとも8,000人が殺害された。SSI諜報員は、兵士警察引き連れ虐殺率い中心的役割果たした釈放されたばかり鉄衛団流血ユダヤ人殺害楽しんでおり、路上で彼らを刺したり、バール殴ったりして殺す群衆率いていた。まれに哀れみ覚えたレジオナーレがいたとしても、その手段が銃殺に変わるだけであった目撃者1人は後に次のように証言している。 ユダヤ人守ろうとした人も、ユダヤ人一緒に殺されることがあった。カシアン検事長義理の兄弟で、非ユダヤ人エンジニアナウムその1人だ。ヤシ衛生機関の元医科学助教授で、雄弁自由主義者として一部界隈でよく知られていたナウムは、フェルディナンド財団出たところにあるパクラリ通りで、ユダヤ人救おうとしていた。彼らを殺そうとしていた警察官は、ナウム向かってめ、おまえの守るユダヤ人と死ぬが良い!」と言い至近距離撃った司祭のラズメリタは、サラリエ通りユダヤ人数人助けている最中に、彼らとともに撃たれ犠牲になったまた、旋盤操作員のヨアン・ゲオルギューは、ズグラビロル通りユダヤ人数人守ろうとして、鉄道職員殺害された。 虐殺直接目撃したイタリアジャーナリストクルツィオ・マラパルテは、「兵士憲兵分遣隊男女労働者長髪ジプシー集団が、死体持ち上げたりひっくり返したりしながら服を剥ぎ取り喜び叫び声上げていた」と書いている。 ルーマニア当局は、5,000人を超えるユダヤ人逮捕して、彼らを鉄道駅連行し動き遅くなった人を射殺した後、彼らの持ち物をすべて奪った列車1両のなかに100人を超えるユダヤ人詰め込まれ田園地帯8日間にわたって行き来した列車のなかで、渇き飢え窒息によって多く死亡した。公式の報告書では次のように書かれているルーマニア南部カララシ向けてヤシ出発した死の列車には、おそらく5,000人ものユダヤ人乗せられたが、7日後に目的地までたどり着けたのはわずか1,011人だけであったルーマニア警察は、1,258体の遺体数えているが、途中のミルチェシュティ、ロマン、サバオアニ、イノテシュティで数百死体列車から投げ捨てられた。また、ポドゥ・イロアイエイ(ヤシから15kmの距離にある)へ向かう死の列車には、出発時に最大で2,700人のユダヤ人がいたが、そのうち生きて降りられたのは700人だけであった当時ルーマニア当局の公式な説明では、1,900人のユダヤ人乗り込み、「たった」1,194人が死亡した報告されている。 ヤシ南西にあるポドゥ・イロアイエイへ移送された人もいた。ヤシの大虐殺全体犠牲者数定かでないが、ルーマニア政府によると13,266人以上、ヤシユダヤ人コミュニティによると15,000人近く数えられている。 残虐行為が行われるなか、それに反す例外もあった。ロマンの町で、第二次世界大戦中赤十字主任として働いていたヴィオリカ・アガリチは、諸国民の中の正義の人としてヤド・ヴァシェムイスラエル人称えられ54人のルーマニア人のうちの1人である。1941年7月2日の夜、ルーマニア軍負傷者の手当を終えた後、ヤシ行われた大虐殺生存者輸送する列車からうめ声が上がるのを聞いた彼女は、自身立場利用して収容され乗客に対して食べ物与え許可をとった。この行動ロマン人々大きな反感を買い、彼女はブカレストへの異動強いられた。この逸話は、虐殺描いたオイゲン・ルカの著作ポグロム』にはっきりと記された。『ポグロム』はもともとルーマニア語出版されたが、その後ヘブライ語チェコ語翻訳されヤド・ヴァシェムワシントンD.C.ホロコースト記念博物館内にある図書館でも読むことができる。 秘密裏に夜の間行われたナチス・ドイツによるユダヤ人排斥とは異なりヤシでの虐殺は、ルーマニア当局や軍が国内出身の一市民であるユダヤ人に対して白昼堂々行われたまた、フランスヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件では、ナチス占領地域で逮捕されユダヤ人が、国外ポーランドにある絶滅収容所送られたのに対しヤシ逮捕され人々国内移送されるとどまっている。

※この「虐殺と死の列車」の解説は、「ヤシの大虐殺」の解説の一部です。
「虐殺と死の列車」を含む「ヤシの大虐殺」の記事については、「ヤシの大虐殺」の概要を参照ください。

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